小取編 その②

【要約】
・弁論の基礎概念
或(わく、あるいは):一部。特称。
仮(かり):現在はそうではない場合。仮説。
效(こう、ならう):述部が主部に模範をとること。
所效(しょこう、こうとするところ):述部という模範が合致するかどうか判断される対象である主部のこと。
述部の内容に事実が適中すれば正しいが、適中しなければ正しくない。

・弁論の主要な形式
辟(ひ):他の物事をあげて、それによってそのものをはっきりさせる比喩。
侔(ぼう、ひとしい):同じような命題を並べて進めていく比較。
援(えん、ひく):他の事を引いてきてこちらを論証することで、「あなたがそうであうなら、わたしとてもどうしてそうだとしないでおられようか」というようなもの。
推(すい、おす):現にそこにないことを、現にあることと同じようにみたてて、それを推測する推理。

・弁論の危険性と注意点
そもそも物事は同じ点があるが、全ての点が同じではない。
だから侔(ひと)しいと結論する言説は、適当な点で止めるのがよい。
また物事は、そうである点では同じでも、そうである理由は同じであるとは限らない。
またあることを取り上げる点では同じでも、取り上げる理由は同じであるとは限らない。
故に辟侔援推などの弁論の諸形式は、誤った結論を出してしまう危険があるので、実際への適用は慎重にならなければならない。常用してはいけない。
このように言説の技巧は多方面に渡り、種類と原因は多様であり、一偏からのみ観察してはいけない。

【感想・考察】
效は命題の是非(真偽)を判断するための基準(模範)となる述部、その基準に合致すれば是だが合致しなければ非というものだと思う。所效はその基準に照らし合わされる対象である主部。
犬は哺乳類である→效は哺乳類。犬がそれに合致するので是。もし犬の箇所が亀であれば合致しないので非。(主部の本質が合致するかどうかを確認。)
その犬が風邪を引いている→效は風邪を引いている。その犬を見て事実として風邪を引いていれば是、風邪を引いていなければ非。(主部の属性が合致するかどうか事実を確認。)

辟は、「AはBである、何故なら(Aと同じような)CはBであるから」というようなもの。相手を説得する際、「AはBである」という内容を相手に分かりやすくするため、「CはBである」という比喩を挙げている。ただし、「CはBである」ということと「AはBである」ということの論理的繋がりは薄いかもしれない。
侔は、「AはBである」と「(Aと同じような)CはBである」を比較して、そこから「AとCに共通する本質はBである」などその他何かを導いて、相手に示すこと。
援は、「AがBであるなら、(Aと同じような条件の)CがBでないということはない」と結論を出すいうこと。一貫性や公平性を元に、同条件のものを引用し、論理的繋がりでもって、「CはBである」ということを論証し、説得する。
推は、「AがBであるなら、(Aと同じような)CもBだろう」と、既知のもの(情報として現にそこにあるもの)である「AがBである」から、未知のもの(情報としてそこにないもの)である「CもBだろう」を推測するということ。ただし、未来のものや未確認なものなので、不確かである。

ただ辟侔援推全てにおいて、AとCは完全には一致しない。援は最も近く、次に推で、次に侔で、辟だろう、ただしそれぞれのものによるが。辟は分かりやすくなっていればいいので、あまり近くなくてもいいのかもしれない。AとCが完全には一致しないことで、これら弁論の形式を実際に当て嵌めてみて正しい結論がでるかどうかは怪しい。そのため程々の点で止めておくのが良い。
また、そうである点では同じでもそうである理由は異なる場合、例えば「体が暖かい(厚着してるから)」と「体が暖かい(熱があるから)」の場合、「体が暖かいなら服を脱げばいい」という同じ結論を導くことはできない。
また、ある論点を同じように取り上げても取り上げた理由が異なる場合、例えば「最近お米が高い」という同じ論点を取り上げても、「安くなって欲しい」という理由からこの論点を取り上げたのか、「経済的な仕組みがどうなっているのか気になって」という理由で取り上げたのかで、話し合っていても話がかみ合わない、ということが起こってしまう。
そのためこれら弁論の形式の実践においては慎重に、また言説の技巧というのものは非常に複雑なものなので、1つの観点のみから物を見るのではなく、様々な観点から見るようにしなければ、誤った結論を導いてしまう。

確かに、完全に同じものはないから、いつの間にかすり替えられてしまって、騙されてしまっているということはあるかもしれない。どこまで意味や理由や条件が近づいたら成立するのかというのも、感覚のような気がする。結局、1つ1つ細かく見て行くしかないのかもしれない。相手がその発言をした理由というのは、読み間違えて話がかみ合わないということはよくあるように思う。まぁ中々察するのは難しいからそこは仕方がないところかもしれないが。辟侔援推なんてのはこれを読むまでは意識したことがなかった。一見似てるように思ったが、それぞれ目的や、それぞれの要素の関係などが違う。普段何気なく使っている論理もなかなか奥が深いんだなと思った。