追悼 冬の旅 田村正和 | ぺんの独り言 《 晴れ時々曇り一時土砂降り》

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昨夜、田村正和さんの訃報が伝えられた。


もう、私絶句。


昔からの大ファン。


トレンディドラマって言葉が生まれるずぅっーーっと前から、夜の10時から始まる
いわゆる大人のドラマの常連さんでしたぁ。

その頃は
田村正和さん
近藤正臣さん

女優だと

大原麗子さん
篠ひろ子さん

                  しか思い出せない

が、今でいう
トレンディドラマの役者さんでしょうか?

田村正和さんは
お父様が  阪東妻三郎という、
時代劇俳優さんの役者さんだったこともあり、
いわゆる大人の恋愛ドラマだけでなく、
時代劇もこなすし、
いつの間にか、パパはニュースキャスターや
教師役など、お子ちゃまのアイドルにもなっていた。


でも、訃報を聞いて思い出したのが、

田村正和さんが、
気になる役でしたと語ったドラマ。
ニュアンスとして捉えて下さいね。

冬の旅    ←   残念ながら、お子ちゃますぎて見ていないのだ。



立原正秋の小説のドラマ化

確か私も持っていたはず。

もちろん、田村さんの話を聞いて小説購入。


冬の旅

第8回放送批評家賞(ギャラクシー賞)第13回期間奨励賞受賞作品。授賞理由は、「陰翳深いストーリーをとりあげ、精緻な人間表現を的確な画面構成により、すぐれた作品に仕上げ、沈滞のテレビドラマに一つの方向を示されました」。「読売新聞に連載された同名の原作(立原正秋)は〝非行〟というラク印を押された少年の屈折した心理と、背徳の倫理を描き、退廃の現代を告発しようとした作品であった。

宇野行介(あおい輝彦)にとって〝その日〟まで母(久我美子)がすべてであった。
その母が義理の兄、修一郎(田村正和)に侮辱を受けた。許せることはできなかった。行助は修一郎を生涯劣等感の中でしか生きられない男にしてやろうと、自ら進んで少年院にはいった。

こうして、冬の旅にも似た行助の苦悩に満ちた人生が始まる。原作のテレビ化は、各局でも検討されたが「内容が暗い」「少年の心理を映像で表現できない」などの理由で実現しなかった。挑戦したのは木下恵介監督である。原作に感動、TBSから独立した木下プロの第一作に選び、自ら製作、監督に当たる一方、松竹から田向正健を引き抜いて、脚本を担当させるほどの意欲を見せた。演出はTBSから出向した鈴木利正、井下靖央。

スタッフの一人が「旧体制のTBSでは、テレビ化は不可能であった」と語るほどで、意欲は十分買える。「人間の歌」シリーズと銘打ったこの作品の導入部は、暗い情緒の中に、魂のきらめきのようなメロディーが流れるシューベルトの歌曲「冬の旅」である。

カラーの色調を渋くしぼり、行助のセリフの底で動く少年の深層心理を、あかね色の人工光線で浮かび上がらせようとするなど、手間のかかるたんねんな仕上げをしている。しかし、心的状況を演技で表現するのを省略し、芦田伸介の語りで「決めつけ」てくる手法や、セピア色の統一色調が、もどかしさを感じさせるのも否めない。
十キロやせたというあおい輝彦。
「あまりいやな役なので本を投げ出した」という田村正和ともに好演。
とくに、あおいは貴重な若手俳優になってきている。【この項、読売新聞1970/04/16付「試写室」より引用。署名:な】」「木下恵介・人間の歌シリーズ」第1作。

木下惠介アワー  と称するドラマの時間枠があったと記憶する。

あおい輝彦が主役デビュー。
また松竹の監督であった田向正健の脚本家デビュー作にあたる。カラー放送。
提供:久光製薬、東洋工業、シャープ、不二サッシ、キリンビール。
【参考文献:書籍「日本タレント名鑑'81」(1980/12/30、VIPタイムズ社発行)[青山達三の項]】

この紹介文ではあまり田村さんは
役を好まないように記載されているが、何かのインタビューで
修一郎の役に何故か引かれると語っていた記憶がある。

残念ながら、ドラマは発見出来ず。


上記文にでてきた
芦田伸介のナレーション…
このあとの作品     冬の雲
でみつけました。こちらにも田村正和さん出演。
心に響く ナレーション聞いてみて下さい。






シューベルト 菩提樹より
冬の旅