ぺんぎん雑記

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諸々、普段思っていること、以前から考えていたこと、などを徒然なるままに。

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古い話だけれど、(ソルトレイクシティだった筈)冬のオリンピック、男子モーグルの予選生中継を観てました。その時の解説の人がひたすら選手を褒める解説をしたのです。

「この選手は自分が現役時代の憧れだったんです」
「速い、速い!これはいいタイムがでそうですね!(結果凡タイムだとしきりに不思議がって)
…あれっ?思ったよりタイム出ませんでしたね」
「試技が大きい!点数もきっと高いですよ!」←そこまで高くはなかったけど…。

と、全ての選手に同じ位のテンションで解説。解説だけを聴いていると全員が予選通過出来るんじゃないか、と錯覚しそうでした。
でも、その人の解説の良さは選手の滑走の何が良いかが明確で、技の難易度だとか、ダイナミックさだとか、上手いと思えるスキーの滑降の仕方までなんとなくでも理解でき、夜中だったため途中で観戦をやめて寝るつもりが、その予選は最後まで観てしまいました。
その予選の最後の方で、途中で転倒し脚を痛め立ち上がるのもやっとで、滑るのもままならないながら最後まで諦めずゴールにたどり着いた選手がいました。
諦めない姿勢は素晴らしいと思っても、「痛かろう」「可哀想」という同情が先走りそうなものですが、その選手がゴールした後の解説者の言葉が秀逸でした。
「このタイムが彼のオリンピックの記録として残ります。棄権ではなく予選敗退として公式の記録に残ります」
「彼が最後まで滑ったことで1人の棄権者も出なかった良い、締まった予選になりました」

ダメ出しのような批判的な解説もありですし、試合運営の遅延という観点もあるから、一概に言えないでしょうけど、この人のひたすら「褒める」解説で楽しく観戦でき、選手の意地を「認める」その言葉にちょびっと感動して、いい試合(予選だったけど)を観れたな~と。
「褒める」のは褒められた人だけじゃなく、それを客観視する第三者にも好影響がある、と今でも思い出す場面です。褒められて育つのは当事者だけじゃないのですね。