8月15日・・・は 日本では「終戦の日」 韓国では「光復節」、そしてここイギリスでは「VJ Day」と呼ばれています。 VJ Day って何なのよって思いますよね。 (実はオーストラリアにいた時、この言葉を聞いたことがありませんでした。) [Victory over Japan Day] で VJ Day です。 (アメリカや多くの連合国の国々はトルーマンがポツダム宣言に調印した9月2日がVJ Dayとしていますが…イギリスでは8月15日です)(BBCのサイトでVJ Dayの説明がありました。)

毎年、この日複雑な心境になります。私は戦争経験者じゃないけど… 祖母や祖父から話を聞くと… そんなに昔のことではないように思えてなりません。 (M君は15日だけニュースを観ないようにしていますが… 私は観ないといけないと思います。Japanという単語が繰り返しに使われる日ですが・・・ 彼は彼なりに気遣ってくれてるんですねぇ…)

オーストラリアの親友W 君の伯母さんがカナダからシドニーの彼の実家に遊びに来ていた時とJちゃんと焼き肉を食べに行った時のことを8月15日に思い出します。 (W君は韓国系オーストラリア人、Jちゃんは韓国人でオーストラリアに住んでいます。 韓国系オーストラリア人と言っても良いですね。 Jちゃんの旦那さんはイギリス系オーストラリア人です。)

オーストラリアにいた頃、ある週末にW君のお母さんとお父さんが私をランチに招待してくれました。(W君のおうちはノース・シドニーで韓国料理レストランを経営しています。) 本当に恥ずかしい思いをしました。今の歴史の授業は違うと思いますが、 日本史でも世界史でも終わりのほうをさっさと進めて行くって言うか、あまり昭和に入ってからの歴史を詳しく習った記憶がありません。(教えて頂いていたのかもしれませんが… 私の興味がなく、 真剣に授業を受けていなかったのかもしれませんが… とにかく全くの無知でした。) 

W君のおうちはカトリック教徒です。私が仏教徒であることも日本人であることも家族の皆さんは知っていました。 それでもいつも親切に本当に色々助けてもらって、感謝することばかりでした。 いつもそこに行くと、私の大好物のユッケを出してくれたり・・ 韓国の海苔も沢山くれたり・・・もちろん手作りキムチもたっぷり…  カナダからの伯母さんは、多分、うちの母と祖母の間ぐらいの年齢だと思います。現在70代半ば・・(当時60代後半だったかな・・・良く覚えてませんが…もしかしたらおばあちゃんの年齢に近いのかもしれません。)  いきなり彼女が私に日本語で話しかけてきました。 流暢だったのでびっくりしました。 するとW君のお母さんの顔色が少し変わり…和やかなムードではなくなりました。

W君の伯母さん: 「ペンギンとWは大学が一緒なんだってね。 いつもWのこと色々助けてくれてるって言うじゃない。Wは頭は良いのだけど…さぼり癖がついているみたいで… レポートもペンギンがタイプしてくれてるって言うじゃないの… どうも有難う…」

誰も会話に入ってこれなくなりました… それまで韓国語と英語でニコニコ話していたのに…  でも、この日本語は凄いぞー。 どこで習ったんだろーって・・・・ 歴史を知らない私はあまりにも無知で・・・こんなことを聞いてしまいました。

ペンギン: 「日本語、本当に上手ですね。ビックリしました。 W君に色々助けてもらってるんですよ。 タイプはね・・・英語の聞き取りの練習になるから私にも良いんですよ。 本当に良いお友達に恵まれて、私はラッキーです。 伯母さま、日本語どこで学ばれたんですか?」

ガーン! 尋ねてはいけないことを聞いてしまいました。 その瞬間伯母さんの顔が引きつって、私もまずいと思ったのを今でも覚えています。が、伯母さんは怒らずに話し始めました。

W君の伯母さん:「日本が戦争した時に、中国や朝鮮半島に侵略・占領してきたのを知っている? (それは私も知っていました…) その時に日本人化教育っていうのがされたのよ。 Wの母親はその時期に学校に行ってないけど、私はちょうどその時期に学校に行ったの。 日本名も持ってるのよ… ○○○○って! 歴史って怖いなあ・・・ じゃあ戦争に負けたことしか教えてないのかな?」  

それを聞いて… 目の前が真っ暗になり… 「日本名もつけられて、日本語を話すことを強制された!!」 って一体私たちのお爺ちゃん・おばあちゃんや曾お爺ちゃん/曾おばあちゃんの時代・・・ 何があったんだろう!  って知りたくなりました。 それから、オーストラリアで当時の新聞の記事をさがしたり、 そのことに関する本を何冊か読みました。 (元々興味があったので、昨年歴史学の教授に依頼されたマッカーサー宛の日本語の嘆願書を翻訳(英訳)させてもらうことにしました。 読んでいて・・・かなり辛かったけど… どんな歴史書を読むより、当時(戦後)の状況が分かりました。) 


それとは別の機会に… (オーストラリアでは韓国人の友達が沢山いました。) シドニーで韓国式焼き肉パーティーがあると聞いて、友達に誘われて行ったのです。 バカな私何も意識してませんでした。 8月15日… 友達のJちゃんも私のこと別に日本人と意識して付き合っていなかったし、シドニーに行くと、いつもそこに泊めてもらっていましたし、おまけに母や妹、従妹、私の友達まで彼女のおうちに泊めてくれていました。 その日は私一人だけ泊めてもらっていました。…彼女の友達は韓国人だけで焼き肉をしたかったんですよ。 その場所についてから…Jちゃんが・・・あることに気付きました。そこにいた15人の視線が私に集まっていたから… 

Jちゃん: 「ごめん、ペンギン、不味いところに連れて来ちゃったわ。 8月15日だよね… うちらの「光復節」(日本から解放された日)なんよ! ペンギンの気分が悪くなるから出ようか・・・ それか2時間ほどで帰るから…我慢してくれる… みんな英語は話さないと思う。」

ペンギン: 「ごめん、Jちゃん、私もアホだったね。この前W君の伯母さんに教えてもらっていたのに…  どうして光復節のことを気付かなかったんだろう。 Jちゃんはみんなと一緒に語り合いたいんじゃないの… 一人で帰れるんなら帰りたいけど… ここに日本人がいたら…雰囲気悪いよね…」

Jちゃんの友達: 「ペンギンちゃん、良いよー、ここにいて… あなたは私たちの歴史を知ってるわけだから…。 もし一緒のテーブルにいずらかったら、ほら、あの隅に小さなテーブルを用意するから…  Jちゃんが焼けたお肉を持って行ってくれるから… ごめんね… Jちゃんに焼き肉パーティーって言ってたから… 一緒に連れて来られちゃったのね…」

みんなも同意してくれて…  

ペンギン: 「どうも有難う… 邪魔しないようにするから…いさせてもらおうかな・・・」  

その後Jちゃんはお酒を飲んで6時間ぐらいみんなと語り合っていました。 おーい2時間って言ってたやん…まあね、いつものことだったんです。Jちゃんは凄い人で、看護師さん、私と同じ大学を出てから、シドニーの病院で勤務し、自分で永住権を取った人(時代も良かったんですけどね。当時のオーストラリアはキーティング政権だったので…多文化主義というのを前面に押して、移民をかなり入れていました。) いつも彼女みたいに強くなりたいなって思っていました。年齢は私より6カ月年下だったけど、すごい頼りになる肝っ玉母ちゃんみたいな存在でした。 (そのころから彼女の飲み過ぎは心配していたんです。3年前にもやもや病に罹ってしまい…それ以来、連絡取れなくなっています。 どうしてるのかなぁ… Jちゃん・・・ メールを送っても返信が無いから…とても心配です。)

まあそんなこんなで、8月15日は思い出のある日です。 あの日、私にとって、居心地の良いパーティーではありませんでした。 でも・・・ 歴史の怖さっていうか… 戦争の怖さっていうか… 人間の怖さっていうのを感じていたのは覚えています。 同じ人間が他の人間を殺したり、自由や権利を奪ったり、言語や名前を奪ったりするのです。 Jちゃんとうちに帰って話し合ったのを覚えています。 今、私たちがどんなに幸せなのか…  国境を越えて友達になれること…素晴らしいことです。

最後の締めは、 「無知の知!」 (ソクラテスの言葉)   知らなかったことに気がついて、とても考えさせられました。 知らないことのほうが多いのですよね… 多分この世の中の1%のことも私は分かっていないと思います。

いろんな立場で8月15日という日を考えられると思います。どの立場にたっても、悲しいことしか残りません。戦争は… 人を人間ではいられなくしてしまうんでしょうね。 今も戦争している国が沢山あります。戦争をなくすことって、不可能なことでしょうか? 戦争ゼロっていう世界になれば良いのですが… そんなに単純ではありませんよね。