いじめと家庭の問題 | 日常と時々、線維筋痛症な美帆のブログ

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なんてことのない日常と線維筋痛症のことについてブログに書いてます!!

私は幼稚園から中学校まで、いじめられていました。

そして、うちの両親もはっきり言って、とってもいい両親とはいえずに、そんな家庭で育ってきました。

家でよく喧嘩してるし、父親トラブルメイカーというか問題児だったし。

この時のことは今でも思い返したくないことなのですが。。。

家に居てもストレスたまり、学校に行っても苦しいだけの日々でした。

一応、友達もちょこっとはいましたが、のちのちその友達にいじめたれたり、

反対に、私にいじめられていたなどと、でたらめな嘘を先生に訴えるというやり方をするいじめっ子もいました。

毎日の苦しい日々の繰り返し。

唯一、落ち着けるのは一人か数少ない友達との下校時間でした。

学校からも開放され、家庭からも開放される唯一の時間です。

高校に入学してからは、始めは馴染めずに困惑していましたが、普通の学生生活が送れるようになりました!

しかし、その一方で家庭のはさらに悪くなっていきました。

特に父が超わがまま亭主関白な問題児なので、そんなんだからトラブルメーカー。もしくはクレーマー。

いずれにしてもタチが悪い。

この頃から、父とは基本的に口を聞かなくなりました。

で、大学に入り、引き続き普通な学生生活を送れていました!

少々トラブルに巻き込まれたことはありましたが。。。

家庭の方は荒れていく一方。

そこで学生時代バイトで貯めたお金を使って密かに一人暮らし計画も練っていました。

うちから通うには少し遠いような会社にも就職したし!

でも、アパートの保証人に父がならなきゃいけないから、仕方なく書類書くの頼んだり、アパート見せたりしたけど。。。

その日から、毎晩がんがんに持論話で怒鳴られてた。

説教っていうんなら少しは矯めになる話だけど、古臭く自分のことしか考えてない持論を言われるだけだから、はっきり言って時間の無駄。

なんとかアパートは決まったけど、それから引越しまではわざと遅く帰ったりしてた。

んで、何とか始めた一人暮らしは超楽しい音譜

ただ、ホームシックというのにはなった。

寂しいな帰りたいなと思ったけど。。。

どこも思い浮かばなかった。

アパートは一人で寂しい。でも家なんかに帰るのはもっと嫌。

自分には帰るところがないのかと思うと、悲しくて苦しかった。

就職して仕事が始まって、期限が多い忙しい職場に配属されてしまった。

初めは大変なのは当たり前、しばらくして慣れるまで頑張ろうと思っていたが、

パソコンが大の苦手の私にSEやPGの仕事をやるのは大変なことでした。

事務系の仕事だと聞いていたのに。。。

そんなこんなでいっぱいいっぱいな性格を送っていたら、線維筋痛症が発症。

線維筋痛症は、特効薬がないため治療に時間がかかるため、結局、会社は3~4ヶ月働いて半年休みという情けない状態で辞めてしまいました。

仕事はキツかったけど、仲間はいい人たちだったので、とてもご迷惑をお掛けしたと思っています。

そんな中、父は私が帰ってきたことにめちゃくちゃ喜んでいました。。。

仕事を辞めたので、当然アパートも泣く泣く手放してきたのですが、

普通、娘が病気で家に帰ってきて、しかも仕事辞めたっていうのに、喜びます??

心配するのが親でしょう!

そんな家庭に戻ってきてしまい、またストレスに耐える日々が続いています。

私は、このこと全部が線維筋痛症になった原因では?と考えています。

一応、医師には仕事がキツかったということを話して、精神的な理由かねとも言われていますし。

あとから、父が問題児だということも話ましたが。


いじめと家庭問題、

しかし、いじめを起こす子どもには家庭環境が悪いなど、それなりの原因があったり、

問題を起こす親にも、その親からも虐待されていて繰り返しているなどと、難しい問題ではあります。

頭ごなしに、いじめと問題のある親を責めることはできませんが、


いじめとDVは絶対にダメです!

こんなにも長く人の人生を締め付けて壊しているのだから、

生きながらにして、殺されているようなものなのだから。


二度と私のような思いをする子どもが表れないで欲しい!

そのために私は児童福祉を学んだりもしたけれど。。。

今のこんな体では、私が生きているだけで精一杯。

とても子どもたちを守る仕事ができない。

でも、いつか。。。

いつか病気が良くなったら、一人暮らしして、児童関係の仕事について、

結婚して、温かい家庭で良き母親になりたいなぁラブラブ