フィンセント・ファン・ゴッホ

名言集


フィンセント・ファン・ゴッホとは?

ポスト印象派のオランダの画家。

1853年3月30日に生誕。


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それではゴッホが残した名言を見ていきましょう!



与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。

ただ相手に与えるだけではいけない。

相手からも貰わなくては。


考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく。


人生を知るには、たくさんのものを愛することだ。


愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない。


誰かに恋をしたならば、それは相手のせいだ。誰かを憎んだならば、それは自分のせいだ。


美しい景色を探すな。

景色の中に美しいものを見つけるんだ。


このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ。


何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう。


神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ。


大事は寄せ集められた小事によってなされる。


私は、自分の作品に心と魂を込める。

そして制作過程では我を失う。


私はあるがままの自分を受け入れてくれる

ことだけを望む。


私はいつも、まだ自分ができないことをする。そのやり方を学ぶために。


私が生きていると感じるのは絵を描いているときだけだ。


私はただ自分を追求するだけだ。他人の評価など気にはしない。


私には、好きでもない仕事をしてるあなたのほうが、狂っているように見える。


あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな。


もし君が本当に自然を愛するのなら いたるところに美を見出すだろう。


99回倒されても、100回目に立ち上がればよい。


絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている。


自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない。


始めるということは、おそらく他のどんなことよりも難しい。しかし、気持ちを持ち続ければ上手くいくようになるものだ。


偉大な芸術家は単純化するんだ。


芸術とは人生に打ちのめされた人への慰めだ。


今は絵を描けないという心の声を聞いたら、なんとしてでも描くんだ。そうすればその心の声は消える。


内なる声が「おまえには描けない」と言ったら、何としても描け。そうすれば何も言わなくなる。


運命に耐えているとき、そこに真理が見える。


人の心は海のようだ。嵐もくるし、潮の満ち引きもある、非常に深く、そこには真珠もある。


結果が良くても悪くても、運が良かろうと悪かろうと、何もしないよりは何かをした方がよいのだ。


悲しみは、永遠に続くことだろう。


人間が生きる限り、死人も生きているんだ。


ごくありふれた作品に対してでも、ある程度は敬意を示し、表現していることを認めるべきだ。たいへんな労力をかけなければ、その程度にすら到達できないのだから。


絵を描くのは、人生に耐えるための手段だ。泣かないでくれ。ぼくがしてきたことは、ぼくたちにとっていちばんいいことなんだ。どうしようもないんだ。

ぼくはこの憂鬱から絶対に逃れられない。


普通であるというのは舗装された道路のようなものだ。歩くのはたやすいが、そこに花は生えない。


退屈で死ぬより情熱のために死ぬ方がましだ。


「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい。


たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ。



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