君が微笑むなら
去年の卒業生から急に連絡が来て、
「大学のことで相談があります」とのことだったので、
仕事の後、食事しながらゼリってきました
彼女は私が今の職場で始めて担任を持った頃の生徒で、
転校してきた時から、対人恐怖の傾向があって、
卒業はどうにかできたんだけど、受験には間に合わず、
結局1年浪人して、某大学に進学しました![]()
でも、その大学で、やっぱり対人恐怖の傾向がでてしまい、
教室とか、その空間の中で「顔見知り」になった人が特に怖い、
ということで、大学にいけなくなり、
辞めようかと考えている、とのことでした![]()
べつに、彼女に限ったことではなく、うちの生徒にはよくあること。
やっぱり、なにかしらの挫折経験をした生徒が多くて、
だからこそ、次の失敗を恐れて、前に進めなくて、
そして独りで考えすぎてネガティブに・・・よくある話。
でも、それって、人間だったらふつーのことだと思うんです、
むしろ、挫折を経験しない人生のほうが、珍しいし、
そんな人生歩んでたら、人間性に問題が生じると思ってます。
私がやるべきこと、というか、そうありたいと思う姿は、
そんな生徒に、一人の「人間」として向かい合う「人間」であること。
これまでも、ちょいちょい日記に書いてはきたし、
常々思ってることだけど、
私は別に、「先生」であること、「先生」になることは望んでいない。
奇麗事の「教育論」を振りかざす教師には、
学生時代に、自分自身が嫌悪感を抱いてきたからだ。
体裁だけでものをいうのは、簡単なこと。
とりあえず、「がんばれ」なんていうのも、簡単なこと。
それって、「伝わる」の?
「伝える」じゃなくて、「伝わる」。
一方的に押し付けられた、概念や価値観なんて、意味がない。
きっと、「経験」のない「理想論」なんて、空虚だ。
きっと、私にできる事は、限られている。
相手の話を聞くこと。
その話のなかにこめられた、相手の本音や素を知ろうとすること。
他人の人生に対して、私が勝手に「答え」を出すことなどできないし、
そんなことすべきじゃない、だって、自分がされたくない。
ただ、「答え」を探そうとするエネルギーを、与えられたなら。
そして、それだけの力を持つ「ことば」を発することのできる、
そんな実のある「経験」を、自分自身が積んでいけたなら。
少しでも、明るくなってくれた彼女の笑顔に、
「ありがとうございます」のことばに、
私自身も、きっと救われている、こちらこそ、「ありがとう」。
先生と生徒、じゃなくて、一人の人間として、
私は彼女を応援したい。
そして、その思いは、他の生徒たちだって、同じ。
まあ、基本適当ですけどー![]()
でも、自分のことばが、行動が、
誰かにとって、今すぐじゃなくても、いつか、役に立つときがあれば、
そこに「出会い」の意味が生まれるんじゃないかと思う。
いつも意図して、いいこと言おうなんて思わないし、
さっきも書いたとおり、奇麗事なんて嫌いなのだ。
だから私は、一般概念としての「教師」には、なれない。
ただ、一人の「人間」として、誰かに「伝わる」魅力を、
すこしでも多く、身につけていけたならいいと思う。