仕事場をでて
走っていた毎日
40分間の電車の中で
充電して
駅に着いたら 軽食を購入
乗り換えて ぎゅうぎゅう詰めの電車で一駅

駅をおりたら
目の前の信号をわたる
暑い日も 寒い日も 雨の日も 台風の日も 大雪の日も
道路をわたり 200m歩いて
「ピンポーン」を押す

ナースが出てくれると
なぜかホッとした
情報を共有し お部屋へ

最初は 今でくつろいでいた
おおきく手をふって
「お帰りなさい」って迎えてくれた

時には
「私の娘が帰ってきました」と

お部屋にいるようになってからは
ドアの方を向いて 目をおおきく開けていた

冷たい手で触ると
顔をしかめて
「おー。今日は冷えて来たね」って

認知症になって
倒れていても

母らしい感情は残っていたんだと思う

2年半続いた生活
入院の時と、その前も入れると3年半

日常が日常でなくなった今

何をしたらいいのか
わからなくなってきた

少しずつ 寂しいという感情がわいてくる

みんなそうなのかな


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1月3日 朝
父と姪2人と私でお雑煮を食べていました
母が教えてくれたお雑煮
「あのね、おばあちゃんはお雑煮の最後に必ず入れる物があるんだよ。分かる人いる?」なんてクイズを出していたのが、午前9時少し前でした。
みんなで笑いながら、クイズの答を考えていましたが、誰も正解しませんでした。

そうこうしているうちに、朝の注入時間も近くなったので、
自転車でホームに向かいました

そして、ナースからの電話
「心肺停止です」と

姪にすぐに電話を入れて
「おばあちゃんが、今、心肺停止だから、すぐにおじいちゃんを連れて来てね」と
姪は危篤だと思い、それを父につげ、急いで家をでたそうです。

いつも元気な父は
階段をあがって5mほど歩いたところで
胸が苦しくなり、座り込んでしまったそうです

姪たちは走ってバス通りに出て、タクシーを拾って、座り込んでいる父のところに来て
一緒にホームに来ました

あの日、珍しく父が
「胸が苦しくなったんだ。きっと、あのときにお母さんは天国にいったんだよね」と
言っていました。

87歳の父は、80歳の時にシアトルで心臓発作を起こし、急遽入院手術。
心臓は決してよい状態ではありません

昨年は、肺の検査をしてアスベスト肺であることがわかりました
歩くのもものすごーくゆっくりで
それでも、息切れしてしまいます

なのに、「お母さんの一周忌は、みんなでペナンにいこう。お母さんが好きだったからね」と言います。

父の優しさでしょうか。

母は納骨まで、実家ではなく最後に家族みんなで過ごした私の家にいます。
だから、父も実家には帰らずに、私の家にいます。姪と一緒に。

昼間はずっとテレビを見て過ごしているようですが。
母の側から離れません。

今日、母の遺影の前にお茶があがっていました。
今朝は、姪もいなかったし、わたしも入れませんでした。

聞いたら、父が入れたそうです。

父は母に何を語ったのでしょうか。


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母が逝ってから2回目の日曜日。
毎日が慌ただしくて、悲しいとか寂しいとかという感情が押し寄せてきません。

母がいるときには、この日を迎えたら、毎日、悲しんでいるのかなあ。
と思っていたのに。

2年と5ヶ月の日常が、日常でなくなった この事実だけが残っています。

そして、2年5ヶ月母が暮らした ホームの部屋の退去手続きに姉といってきました。
母が来ていた洋服、寝間着、そして口入したクッションなどすべてのものを廃止処分してもらえるようにお願いしました。

だった、本当に母が望んで買った洋服ではないから
おしゃれだった母だからと すべてを処分しました。

ゴミは10袋近くになりました
母の2年5ヶ月の日常とお別れしました

入居時と同じような家具の配置に戻してきました

姉は、何度も何度も床を拭き、壁のシミを拭き、
きれい好きだった母なら、きっとこうしてただろうというくらいに丁寧に掃除をしていました

姉の思いがつまったこういでした
ナースが何度も部屋をのぞいてくれて、声をかけてくれます

毎日、お会いしていたナースに会わない日常から
2週間たっても、お互いに目が合えば、母のことを思い出し涙ぐんでいます

本当にお世話になったお部屋です

最後の書類にサインをして、ああ、これで終わったんだという気持ちになりました

駅で姉と別れた後、
姉からのメール

「長い間おつかれさまでした。ありがとう。」と。
読んでいるうちに涙がでてきました。

二人で頑張って、母を送りました。
母にも通じたはずです

母が逝ったベッドに横になってみました
母が見ていた景色を最後に目におさめました

母の大好きな空は見えませんでした…



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なんと、昨夜、母の葬儀、姪の成人式のしゃしんを入れたSDカードを間違えてCDスロットに差し込んで取れなくなってしまった。
仕方なしにiPadで更新してます。
PC壊してでも取り出さなくては。

しばらく、不自由だが。

姪は振袖姿を母に見せていました。。


姉、私と、姪3人が着ましたよ。
お母さん、良かったね。

宝物だね。


母が患い始めたとき
高校2年生だった孫娘3号が成人式を迎えます

昨日は、教会の成人式
つい、4日前に葬儀を執り行った同じ聖堂での式典
たまたま、今年参加するのは孫娘3号だけでした

最後の挨拶で
「人とのつながりの大切さを教えてくれた祖母が、先週の日曜日に帰天しました。」
「成人として、これからも人のつながり、感謝の気持ちをもって…」とスピーチしました

胸がぎゅーっとなってしまいました

最後のペナン旅行も彼女も一緒にいき、「おばあちゃん」といいながら何かと優しく接していました
そして、倒れる前日も一緒に食事をしていました
受験で大変な冬休みにも、一時帰宅する母のために、我が家に泊まり込み、トイレ介助やおむつ介助や話し相手など時間を割いてくれたのを覚えています

そんな彼女は
「成人式の着物を来て、おばあちゃんにみせにいくんだ。だって、みんなが着た着物だものね」と
言っていましたが、それがかなわなかったこと残念でなりません

母は何かのお祝いがあるたびに、家族で集まってパーティーを開いていました
昨日は、母の霊前で、彼女の成人のお祝いを
わいわいがやがや たくさん飲んで、たくさん食べて、母は笑ってみていてくれました

一段落した後、
孫息子(一人だけです)と二人で飲んでいるときに
彼が話し始めました

「ふだんはさ、発泡酒だけ飲んでいるんだけどね、あの葬式の後、家に帰ってから、悲しくて切なくて、おばあちゃんの好きなスーパードライを買いにいったんだよ。コンビニに。だって、飲むしかないでしょ」と

そして
「何よりもの思い出はね、お弁当なんだよ。ふだん、みんなに作ってくれるごはんは、みんなで食べるためでしょ。でもさ、弁当っていうのは、自分だけのために作ってくれる物なんだよね、うれしかったし、おいしかったよ」と。

酔っぱらえば饒舌の彼
母への思いを、天国でどんな思いで聞いていたのかな?

昔から母は言っていました
「食べ物のあるとこには、人は集まる。人と人とのつながりはたいせつだから」
そのため、商売としても食べ物を扱っていましたが、それ以上に、いろいろなところで、食べる物を提供していたことが、何となく分かってきました。

いまからじゃ、遅いかもしれませんが…。
今日で休みも最後。
今日はホームに行ってこようと思います。


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