母の部屋では
いつも音楽をかけています

母が大好きな越路吹雪、美空ひばり、昭和20年代から30年代の青春の思い出の歌、ピアノ、
クラッシック、吹奏楽メドレー
ジャンルは様々です
音楽が脳を刺激するかな なんて思ってスタッフさんもいろいろとかけてくれています

今日は、樋口了一さんの「よろこびの歌」というCDが流れていました
ご存知の方も多いと思いますが、あの有名な「手紙」という歌もこのCDに入っています
母がすきなCDではなく、私が元気が欲しいときに聞くようにしていました

なぜか流れていたCDです

そして、今日、不思議なことがおきました
夕食前、母はいつものようにむせ込み始めました
苦しそうに涙を浮かべ
眉間にしわを寄せていました

背中やほっぺをさすったり
ベッドの角度を変えたり
それでも苦しい表情は消えませんでした
この曲が流れるまで…

曲が流れ始めたら
母は目を丸くあけて天井を見つめ始めました
安心したように目を閉じ
眉間のしわも消えました

曲の流れとともに母の表情は穏やかになりました
まるで子守唄を聞いているかのように

とっても不思議です

歌は「手紙」
あえて歌詞をかかせてください


年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしても
どうかそのままの 私のことを 理解して欲しい
私が服の上に 食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを 教えたように 見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返しても
その結末を どうかさえぎらずに うなずいて欲しい
あなたにせかまれて 繰り返し読んだ絵本の あたたかな結末は
いつも同じでも 私の心を 平和にしてくれた

悲しいことではないんだ 消えて去って行くように 見える私の心へと
励ましの まなざしを 向けてほしい

楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを いやがることきには 思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたと お風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ 出来なくなるかも知れない
足も衰えて 立ち上がる事すら 出来なくなったなら
あなたが か弱い足で 立ち上がろうと 私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの 手を握らせて欲しい

私の姿を見て 悲しんだり 自分が無力だと 思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力が ないのを知るのは つらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを 持っていて欲しい

きっとそれだけで それだけで 私には勇気が わいてくるのです
あなたの人生の始まりに 私がしっかりと 付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変らぬ愛を 持って笑顔で答えたい

私の子供たちへ
愛する子供たちへ


そして歌が終わってから
しばらくして
母が

「もう 十分です」って

母の言葉の意味は?
母は「手紙」の歌詞を理解できたのでしょうか?

いえ、何かを感じていたのでしょう
だから
わたしに

「もう 十分頑張っているよ。私がうまく咳ができなくても 痰がだせなくても あなたのせいじゃないのよ あせらないでいいのよ あなたは十分にやってくれているのよ わたしに十分につきあってくれているじゃない 自分を責めないで」って

伝えたかった
そんな気がします

歌詞を打ち込みながら
今日は涙がとまりません


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