昨日は、姉一家と一緒に神宮球場に六大学野球観戦にいってきました。
孫娘2号が応援団チアにいて、それを見に行って来ました。
2号は母がもっとも心配していた孫です。

彼女は、上二人とは離れて生まれて生まれました。
久しぶりの赤ん坊にみんなとても喜び大切に接してきました。
彼女が幼稚園に入った年に、姉の3号の妊娠がわかりました。
そんな理由で、実家の近くにある保育園への転園が来まりました。
そして、妹が生まれました。
4歳だった彼女は突然の変化に戸惑いを感じたようです。

だから、一生懸命に大人たちの言葉に従い、叱られないように、嫌われないように振る舞って来たように私は感じていました。

母もそれを感じていて、ひときわ優しく接していました。
実家にとまった翌朝には、掃除をする母の横で、小さな手にぞうきんをもって、窓を拭いていました。「とめてもらったお礼をするんだ」っていいながら。

小学校では担任の先生とうまくいかずに悩み、
中学校、高等学校、大学と環境が変わるたびに適応できずにいらつき、泣き、落ち込む彼女でした。

母はそんな彼女の悩みや優しさを120パーセント受け入れていました。
よく私と二人のときに「2号ちゃんが一番心配」と言っていました。

ちょうど、彼女が大学に入学した頃から、母の異変は起こっていたのでしょう。
2号のことを心配のあまり、大きな声で怒鳴ったりすることもあったようです。
もちろん、2号はまだ大学生。私たちだって気付かなかった母の異変に気付くはずがありません。
だから、ぶつかり、常に冷戦状態が怒っていました。

今回、倒れたとき、2度目に救急車で運ばれて意識が朦朧としている中で、ERの中で母が発した意味のある言葉は、彼女の名前でした。やっと出た声。それが彼女の名前でした。

おそらく、母が脳出血もなく、認知症もなく元気だったから、昨日は一緒に彼女の晴れ舞台を観戦できたはずです。

夕方、ホームに言って母に「神宮に行って来たよ。2号はすごく良かったよ」と動画を見せました。
目をつぶっていた母はうっすらと目をあけて

「ああ、そうそうそうなのね」と。
動画をじっと見つめていて、そして、にっこりと笑顔を見せてくれました。

2号の「おばあちゃん」という呼びかけ、響きには特別な優しさが感じられます。
あの4歳の頃の甘えた顔は未だに健在です。

2号の結婚式。おばあちゃんに見せてあげることはできるのでしょうか。







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