叔母の様子をみていると、倒れる前に一時期の母によく似ているところがあります。
きれい好きだったのに、家の中がめちゃくちゃだったこと。
冷蔵の中に同じ種類の食べかけのお惣菜がたくさん入っていたこと。
失敗したことを隠そうとすること。
一日に何度も洋服を着替えること。
甘い物ばかり食べていること。
叔母とはたまにしか会わない関係だったので、
どのくらい変化しているのかがつかめませんが、
姉曰く、明らかに変だし、話していて疲れるそうです。
母もそうだったな。
母のときは、私も毎日疲れて泣き果てていたけど
叔母の場合は違います
ゆとりがあるのかな…
それでも時々叔母と母を比べてしまうことがあります。
例えば、ホームで週に2回のお習字教室
母はもう参加していません
体の傾斜がひどくて筆も満足に持てないからです
でも、叔母は、

こんな字を書きます。
よく見ると母の書体とよく似ています。
祖父が達筆でした。
その血を引き継いだのでしょう。
三姉妹、本当に美しい字を書いていました。
今はその書が書けるのは、叔母だけになってしまいましたが。
写真をとりながら
なんだか悲しくて涙がとまりませんでした
「すみれほどな 小さき人に 生まれたし」
漱石の有名な一句です。
すみれのように小さいけど、しっかりと根を張ってさいている花
まさに叔母はそのような人生を歩んできました
小学校の低学年のうちから、たった一人で疎開をして、田舎の親戚に預けられた叔母。
その後、寮生活を経て、東京での就職。
一からタイプを学び、英語を学び、タイピストとしての腕を上げ、そしてマーケティングの仕事に抜擢され、働きづめでした。
外国人の上司に多くの部下、かっこいい生き方をしてきました。
おばは、生まれ変わったらまた、どのような人生を歩みたいと考えているのでしょうか。
今、聞いてもきっと答えは帰ってこないですね。
ホームの部屋の前で何度も手をふり、「気をつけて帰りなさいね」「忘れ物ないわね」と言ってくれる叔母は、まるで元気なときの母のようです
どんなに話が支離滅裂でも
それでも、叔母はまだコミュニケーションは上手にとれます
ときどきどこか別の世界にいってしまいますが
母はときどきしかこっちに戻ってこないような感じです
叔母は「元気でね」手を振りながら送ってくれますが
母にはもうできません。
叔母の姿に母を求め、母を重ねている自分がいます
母と同じように叔母もまもっていかなくてはいけないのだと思っています
いつまでも、いつまでも
話ができるように願っています
大好きな母の妹だから
先日、退院するときに驚いたことがあります
病院の中で、叔母は自由に歩き回り、そして外に出て行きました
その結果、認知症とも統合失調症ともいわれ
早く出て行ってくださいとまでいわれました
叔母が行方不明になったときに責任問題を追及したことがいけなかったのかもしれません
でも、許せないです
身体拘束の書類にサインはしましが
これが身体拘束の一部になるとは思えません
靴に鈴がつけてありました。
叔母曰く「逃げ出すから、すぐわかるように、鈴がついているのよ」と。
叔母はそのことが嫌だという判断力はなくなっていたのでしょうか。
笑っていました。
叔母は猫や犬ではない、78歳の老人です
怒りを通り越して、あきれかえるだけです。
これが日本の医療の現状かと思うと、情けなくなります。
認知症患者がこれからもどんどん増えることが予測される時代なのに、
医療側は何も変わっていないのです。
脳の疾患なのに、まるど、その人そのものが否定され、その人の生き方まで否定されることもある。
家族も介護者もとても苦しんでいるのに…
その苦しみを分かち合うどころか、ただただ哀れむような扱いをしています。
なぜ?
認知症だから?

きれい好きだったのに、家の中がめちゃくちゃだったこと。
冷蔵の中に同じ種類の食べかけのお惣菜がたくさん入っていたこと。
失敗したことを隠そうとすること。
一日に何度も洋服を着替えること。
甘い物ばかり食べていること。
叔母とはたまにしか会わない関係だったので、
どのくらい変化しているのかがつかめませんが、
姉曰く、明らかに変だし、話していて疲れるそうです。
母もそうだったな。
母のときは、私も毎日疲れて泣き果てていたけど
叔母の場合は違います
ゆとりがあるのかな…
それでも時々叔母と母を比べてしまうことがあります。
例えば、ホームで週に2回のお習字教室
母はもう参加していません
体の傾斜がひどくて筆も満足に持てないからです
でも、叔母は、

こんな字を書きます。
よく見ると母の書体とよく似ています。
祖父が達筆でした。
その血を引き継いだのでしょう。
三姉妹、本当に美しい字を書いていました。
今はその書が書けるのは、叔母だけになってしまいましたが。
写真をとりながら
なんだか悲しくて涙がとまりませんでした
「すみれほどな 小さき人に 生まれたし」
漱石の有名な一句です。
すみれのように小さいけど、しっかりと根を張ってさいている花
まさに叔母はそのような人生を歩んできました
小学校の低学年のうちから、たった一人で疎開をして、田舎の親戚に預けられた叔母。
その後、寮生活を経て、東京での就職。
一からタイプを学び、英語を学び、タイピストとしての腕を上げ、そしてマーケティングの仕事に抜擢され、働きづめでした。
外国人の上司に多くの部下、かっこいい生き方をしてきました。
おばは、生まれ変わったらまた、どのような人生を歩みたいと考えているのでしょうか。
今、聞いてもきっと答えは帰ってこないですね。
ホームの部屋の前で何度も手をふり、「気をつけて帰りなさいね」「忘れ物ないわね」と言ってくれる叔母は、まるで元気なときの母のようです
どんなに話が支離滅裂でも
それでも、叔母はまだコミュニケーションは上手にとれます
ときどきどこか別の世界にいってしまいますが
母はときどきしかこっちに戻ってこないような感じです
叔母は「元気でね」手を振りながら送ってくれますが
母にはもうできません。
叔母の姿に母を求め、母を重ねている自分がいます
母と同じように叔母もまもっていかなくてはいけないのだと思っています
いつまでも、いつまでも
話ができるように願っています
大好きな母の妹だから
先日、退院するときに驚いたことがあります
病院の中で、叔母は自由に歩き回り、そして外に出て行きました
その結果、認知症とも統合失調症ともいわれ
早く出て行ってくださいとまでいわれました
叔母が行方不明になったときに責任問題を追及したことがいけなかったのかもしれません
でも、許せないです
身体拘束の書類にサインはしましが
これが身体拘束の一部になるとは思えません
靴に鈴がつけてありました。
叔母曰く「逃げ出すから、すぐわかるように、鈴がついているのよ」と。
叔母はそのことが嫌だという判断力はなくなっていたのでしょうか。
笑っていました。
叔母は猫や犬ではない、78歳の老人です
怒りを通り越して、あきれかえるだけです。
これが日本の医療の現状かと思うと、情けなくなります。
認知症患者がこれからもどんどん増えることが予測される時代なのに、
医療側は何も変わっていないのです。
脳の疾患なのに、まるど、その人そのものが否定され、その人の生き方まで否定されることもある。
家族も介護者もとても苦しんでいるのに…
その苦しみを分かち合うどころか、ただただ哀れむような扱いをしています。
なぜ?
認知症だから?
