小泉純一郎氏は、「改革は痛みを伴う」とは明言したものの、なにがどうなるか具体的な説明は一切せず、いつもわかったようなワンフレーズで国民を煙に巻きながら強引に「改革」を推し進め、既成事実をどんどん積みあげていった。
だからよほど注意して見ている人でないと気がつかず、あとになって知ってきりきり舞いさせられるわけである。実に狡猾な政治家だ。
保守論壇の大御所のなかにもいまだに「小泉氏は素晴らしい指導者だった」などと大衆に迎合する浅ましい向きがあるが、国民はいい加減、目を覚まさなければ馬鹿をみるだけだ。
なにしろあの郵政総選挙の投票日当日に「小泉首相はこれまでに見たこともない指導者だ(中略)単純だが響きのいいフレーズの繰り返しは、音楽のように、聴く人の気分を高揚させる」とお追従丸出しの社説を書いたのが、日本破壊を喜ぶ『朝日新聞』だったという事実を我々は断じて忘れてはならない。
構造改革によって、私たち日本人は幸せになっただろうか?
経済問題や医療・介護問題を苦に自殺する人が年間三万人を超える事態が十年以上も続いている。
(中略)
働きたくても正社員になれない若者がたくさんいるのに、小泉構造改革の継承者を自認する中川秀直元幹事長のような政治家は、一千万人もの移民を日本に入れようと画策している。
地方の商店街は「シャッター通り」となり、いまそこを中華街に改造すべく、華僑資本や中国のソブリン・ファンドが狙っている。
対馬もいつの間にか韓国資本に買い占められている。
我が国はかつて「経済は一流」と賞賛されたが、バブル崩壊以降、国力は衰退の一途をたどり、昨年1月には経済財政担当大臣(当時は大田弘子氏)が「もはや日本経済は一流ではない」と国会で表明するに至った。
いったいなぜ、このような事態に陥ってしまったのか。いったいどこで道を誤ったのか。
それを明らかにするのは時代の当事者たる我々の世代の責務であり、これを怠れば我々は後の世の子孫たちに顔向けできまい。
紺谷典子氏は、前出の『平成経済20年史』で、我が国経済の衰退の真因は「改革」にあり、「改革」こそが、こんにちの惨状を招いた元凶だと喝破している。まったく同感だ。
平成の二十年は「改革」の二十年であった。平成元年は日米構造協議が始まった年である。
以来、こんにちも続く米国からの要求こそが一連の「改革」メニューの源泉だった。
米国が要求する規制緩和や民営化、市場原理の導入による「小さな政府」の実現は、財政均衡に狂奔する旧大蔵省の思惑と一致した。構造改革とは畢竟、歳出削減にほかならない。
そして長引く不況下で「改革」すなわち緊縮財政を強行してきた失政こそが、我が国経済の疲弊に拍車をかけ、内需を低迷させ、税収が激減し、財政赤字が更に拡大するという悪循環に陥らせた。
麻生太郎総理は、年初の施政方針演説で「市場原理ではだめだ」と明言した。あきらかに、構造改革路線からの脱却の必要性を認識している。
盟友である鳩山邦夫総務大臣(当時)が「かんぽの宿」入札疑惑を追及し始めると、麻生総理もそれに呼応するかたちで郵政民営化について「四分社化は反対だった」と国会で発言した。
だが、たちまちマスメディアの集中砲火を浴びた。
小泉構造改革の見直しを少しでも打ち出すと、我が国のマスメディアはなぜか気でも狂ったかのように自国の指導者をバッシングする。バカの壁は厚い。
そのため、麻生政権もなかなか正しい路線に舵をきることができない。
こうしたときに、政権を支えることができる有為の人材が国政の中枢から遠ざけられている。
それは四年前、小泉氏に逆らって自民党を離党した平沼赳夫氏や城内実氏といった元自民党の政治家たちにほかならない。
彼等こそ真の国益を最優先する憂国の志を持ち、いかなる圧力にも屈せず信念を貫く、国家の経綸を負託するに値する、信頼できる政治家だ。
来るべき衆議院総選挙で、日本の宝ともいうべきこれらの人材を政権中枢に復帰させることができるかどうか。日本人の見識が問われている。
『日本を貶めた10人の売国政治家』 小林よしのり編(関岡英之)
