小泉首相による郵政民営化の理由が脆弱だったから、郵政民営化担当大臣となった竹中平蔵氏は、その理由を自らの手で組み立てなければならなかった。
竹中氏は2005年3月に『郵政民営化 「小さな政府」への試金石』を刊行して、郵政民営化を断行する「理由」を述べている。
〈郵政民営化に関連して、もう一点ぜひとも申し上げておきたいことがあります。それは、この問題は単に郵政という一機関のあり方の問題にとどまらず、この国に「小さな政府」をつくることができるのか、それとも「大きな政府」になってしまうのかという、国民的選択の問題だということです〉
このように竹中氏は述べて、郵政民営化が「小さな政府」を目指すための「試金石」だと論じ、この年の小泉首相による「郵政民営化はまさに小さな政府を実現するために欠かせない行財政改革の断行そのものであります」という施政方針演説を引用している。
この「小さな政府」という考え方も、いったい何が「小さな政府」かという定義もなしに使っているので、竹中氏の狙いがどこにあったかすらも不明だが、すでに述べたように、少なくとも公務員比率から見ても、政府支出対GDP比から見ても、日本が「大きな政府」であるとはいえず、すでに「小さな政府」だったのである。
竹中氏はこの本のなかで「郵政民営化のメリット」として、次の4つを上げているが、これもあまり説得力があるとはいえなかった。
〈郵政改革は大きく分けて4つのメリットがあります。
- 350兆円という膨大な貯金・簡保資金が、「官」のおカネから「民」のおカネになっていくこと、
- 全国津々浦々の郵便局窓口がもっと便利になること、
- 国家公務員を3割削減し、小さな政府を実現すること、
- 「見えない国民負担」が最小化されること 〉
いまのところこの4つのメリットは、まったく実現していないといってよい。
少なくとも、これまでのところ資金が「官」から「民」に流れたという形跡はないし、郵便窓口は不便になったという批判ばかりだ。
小さな政府も実現していなければ、国民負担が少なくなったという話も聞いたことがない。
この4つはすべて裏切られている。いったい、どういうことなのだろうか。
竹中氏があげた4つのメリットというのは、たんに選挙対策に過ぎなかったと考えれば分からないこともない。4つのうち、第一番目の「官のおカネから民のおカネ」になるという主張は、「郵政民営化で郵政の資金が官から民に流れる」という言い方で報じられてきた。
しかし、もし郵政民営化を行ったことで、本当に350兆円もの資金が市場に流れたりしたら、とんでもないバブルとなることは予想されたから、この点からも奇妙な議論といえた。
そもそも、金融経済学の観点からいえば、こんな事態はありえないことは、慶應義塾大学の池尾和人教授がすでに指摘していたのである。
〈郵政改革で「資金の流れを官から民に変える」というのは、ほとんど虚構にすぎない。財政赤字が生じている限り、政府はなんとしても資金調達せざるを得ない。資金供給(郵貯・簡保の存在)があるから需要(財政赤字)が生まれているのではなく、資金需要(財政赤字)の存在が供給を促しているというのが主たる因果関係である〉(『論座』2004年12月号)
いまの時点で振り返れば、池尾教授が述べたとおり、郵貯や簡保の資金が民間に流れるということは起こらなかった。
今回の私たちの取材に対して、池尾教授は「こんなことは普通に考えれば分かることでしたからね」と、やや冷淡に語っている。
この「虚構」は、実は、竹中氏のブレーンだった跡田直澄氏と高橋洋一氏が2005年5月に発表した『郵政民営化・政策金融改革による資金の流れの変化について』を読んでみても明らかだった。
このシミュレーションは日本国内の資金がどのように循環して、どこに流れ込んでいくかを図解し、その資金の流れの変化を数字で示すというもので、それなりに手のかかる試みであることは間違いない。
しかし、資金の流れが最終的にたどりつく「中央・地方政府」「企業」「特殊法人」の3つを民営化の前後で比較すると、民営化前が全資金のうちそれぞれが72%、19%、9%という割り振りなのに、民営化後は74%、22%、4%と、たしかに企業への割合が増えるものの、中央・地方政府への割合も増えてしまう。これでは「官から民へ」は実現したことにならないと私には思えた。
郵政民営化が終わってから、元大蔵省事務次官の尾崎護氏が『諸君!』2005年12月号に「構造改革『誤解』論にモノ申す」を発表して、郵貯資金はすでに財投から切り離されていることや、財投が巨額の不良債権化しているという説は間違いであることなどを指摘するなかで、郵政が民営化されれば郵貯資金が国債に運用されていても、それは「民間資金」だと述べている。
〈郵政の民営化によって郵貯銀行が出現すれば郵貯銀行の持つ資産は民間の資産になる。つまり、国が株主として残っていても郵貯銀行が民間機関となればストックとしての郵便貯金は国から民間に移るのである〉
これを読んだとき、私は何をいっているんだろうと思った。
尾崎氏は〈「官から民へ」とは、公的な活動の役割を担う主体をできるだけ「官から民へ」移していこうということ〉とも言いかえている。しかし、これでは郵政が「民間」と名づけられたから郵貯資金も民間だというだけの話で、ほとんど詐欺かペテンといってもよいのではないだろうか。
しかし、どうやら現実にも、小泉改革でいわれた「資金が官から民に流れる」というのは、この程度の話にすぎなかったらしいのである。
『郵政崩壊とTPP』 東谷暁
