ブレグジットはグローバル化の当然の帰結である | 保守と日傘と夏みかん

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イギリスのEU離脱が驚きをもって迎えられている。日本のメディアは、グローバリズムの反動がはじまったと大騒ぎだ。
しかし、イギリスがEU離脱を決断したのは、事態を客観的に眺めるかぎり当然のことと言わなければならない。

まず、イギリスは最初からEU統合に熱心な国ではなかった。
現に共通通貨ユーロを採用していないし、国境の自由な移動を保証するシェンゲン協定にも参加していない。
勢力均衡を基本とするイギリス外交は、片足をEUに起きつつ、片足はつねに英連邦(コモンウェルス)やアメリカに置かれてきた。
昨今の経済危機でEUがドイツに乗っ取られつつある中、イギリスがEUと距離を取ろうとするのは、かの国の歴史を考えれば何の不思議もない。

日本人はEUに過大な幻想を抱きがちだが、現実のEUシステムは問題だらけである。
ブリュッセルに集まったEU官僚は、アメリカ人以上に新自由主義的で、国による制度や文化の違いをほとんど考慮していない。

EUには、均衡財政を金科玉条とするドイツのような国もあれば、労働者の権利を守るために政府規模が拡大しても構わないと考えるフランスのような国もある。
勤勉が美徳とされる北部と、シエスタ(昼寝)の権利が認められている南部の文化的溝は深い。それを統合しようというのだから、無理が出てくるのも当然だ。

EUは統合をこれ以上前に進めることはできないどころか、現行の統合水準を維持することさえ、いずれできなくなるはずである。
EUという泥舟からいち早く抜け出したのは、重債務国のギリシャでもイタリアでもなく、EU統合に最初から熱心ではなかったイギリスだった。迫り来る危機をいち早く察知して対策を講じるアングロ・サクソンの文化は、まだまだ健在といったところだろう。

グローバル化は、各国の主権を制約することなしに実現できない。
関税や非関税障壁を撤廃し、グローバル・スタンダードを受け入れ、国境を外国の企業や労働者に開放する。EUの単一市場は、各国の主権を犠牲にすることで成り立っていた。
経済がうまく回っている内はそれでもいいのかもしれないが、ひとたび経済が落ち込めば、その不満がグローバル化に向かうのは避けられない。

日本のメディアは、ブレグジットを選択したイギリス人を無責任だと非難しつづけている。しかし、本当に無責任なのは、グローバル化が国家の利益になると扇動しつづけたエリート層の方である。
EU加盟で企業や投資家は少々の利益を得たかもしれないが、その代償として所得格差は広がり、国家の主権も制約されてしまった。この現状にいらだつイギリス人が「レス・ヨーロッパ(より少ないヨーロッパ)」を選ぶのは、十分に理由があることなのである。

グローバル化を制限すべきとする運動は今や世界的な潮流になりつつある。
ところが日本人は、いまだにグローバル化を進めることが国益にかなうと信じている。このズレは致命的だ。
グローバル経済の大火事はこれから本格化する。その時、もっとも火の粉をかぶるのは日本となる。




『表現者 平成28年9月号』 鳥兜-巻頭コラム