反レジーム・チェンジ宣言(2) | 保守と日傘と夏みかん

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政治・経済・保守・反民主主義

 

五十余年前のマッカーサーによる日本の「レジーム・チェンジ」を連想されよ。

「戦後日本」の肯定とは、原子爆弾投下が国際法違反であろうと、極東軍事裁判に如何なる疑義があろうと、日本国憲法が主権回復前に制定されていようと、米国によるレジーム・チェンジによって、戦後日本は民主化され、経済的に繁栄し、戦争に直接巻き込まれずにすんだのであるから、結構ではないかということだ。

ブッシュはイラクを「悪の枢軸」と呼んだが、実際に第二次世界大戦直前、米国は我が国を、今日のイラクと同じようにみていたのである。

そして今、イラクを様々な圧力によって追い詰めているように我が国を包囲し、ハル・ノートを突きつけて開戦にまで追い込んだのである。

更に言えば、米国には、日本のレジーム・チェンジに成功したという自負があり、それがその傲慢な外交戦略を支えている。日本は金以外にも米国の覇権に貢献しているわけだ。

したがって、米国のレジーム・チェンジの産物である「戦後日本」を肯定するものは、当然の論理的帰結として、イラク攻略を肯定するだろう。
日本のレジーム・チェンジは良くて、イラクのそれは駄目と言う理由はない。


逆に言えば、米国のイラク攻撃をめぐる不正義に目を瞑るということは、戦後の歴史観や憲法等をめぐる不正義を不問に付すということと何ら変わらない。

そう考えると、我が国において、イラク攻撃に対する世論の反発が弱いのは当然のことと言えるだろう。
自国のレジーム・チェンジを歓迎してきた連中が、他国のそれに反対する論理をもてるわけがないからである。

では、東京裁判史観を批判し、自主憲法制定を唱えてきたのに、現在、米国の覇権的動きを支持して「親米保守」と呼ばれている連中は何なのか。

単に「保守」ではなかったというだけのことである。



(発言者 '02年11月号)

『反官反民』 中野剛志