なぜ冷戦期に自由貿易が「成功」したのか | 保守と日傘と夏みかん

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政治・経済・保守・反民主主義

第二次世界大戦後、覇権国家となったアメリカの基本的な世界戦略は、軍事的には、その圧倒的な軍事力を西ヨーロッパ、中東、東アジアに展開して、ソ連を封じ込めるというものであった。

 

この世界戦略の下、日本は、西側陣営の一員としてアメリカに軍事基地を提供し、自国の安全保障をアメリカの軍事力に依存することを防衛政策の基本としてきたのである。

 

他方、経済においては、西側世界の覇権国家アメリカは「ブレトン・ウッズ体制」と呼ばれる国際経済秩序を構築した。
このブレトン・ウッズ体制は、政府が責任主体として市場に介入し、経済を調整すべきであるというケインズ主義的な理念を基礎にしていた。

(中略)

戦後日本の経済的成功の背景には、いくつかの特殊な条件があったことを見逃してはならない。

 

その条件のひとつとは、アメリカの安全保障上の戦略である。
アメリカは、冷戦構造の下で、西側諸国の共産化を防ぎ、ソ連を中心とした共産圏に対抗して、アメリカを中心としたドル経済圏を構築することを最大の外交目標としていた。

 

そのため、アメリカは西ヨーロッパや日本の戦後復興をおおいに支援し、貿易の自由化も、アメリカの国内市場を積極的に開放していく形で進められたのである。

 

たとえば、1950年代、アイゼンハワー大統領は、日本を共産化させずに西側世界につなぎとめておくためには、日本がアメリカに対して積極的に製品を輸出できるようにしておく必要があると考えていた。

 

こうしたことから、アメリカは関税を広範にわたって引き下げたが、日本は主要な関税をほとんど引き下げないということも認められたのである。

 

アメリカ国内では、当然のことながら市場開放によって不利益を被る産業から不満の声が上がった。
しかし、アイゼンハワー政権は、安全保障上の目的を優先して、保護を求める国内産業の要望を聞き入れなかったのである。
要するに、この時期のアメリカの貿易戦略は、経済的な利益を安全保障に従属させていたのである。

 

これは対ソ戦略の要請であると同時に、アメリカの経済力が圧倒的であったことから可能となったものであった。そして日本は、このアメリカの極めて特殊な貿易戦略による恩恵を存分に享受したのである。

(中略)

冷戦期において、特にアメリカの覇権国家としての地位が安泰であったブレトン・ウッズ体制下においては、日米同盟と自由貿易体制は、たしかに日本に経済的な成功をもたらした。
しかし、その成功が冷戦終結後も引き続き保証されるというわけではない。


1990年代以降、アメリカが西側世界の守護者から独善的な一極主義者に傾いてからも、日本は日米同盟と自由貿易という基本路線を変更せず、アメリカの要求に応じて(あるいは自ら進んで)新自由主義的な構造改革を推し進めた。

 

そのことと、日本が「失われた20年」と呼ばれる長期不況に陥ったこととは、無関係ではない。

 

『TPP 黒い条約』   中野剛志