高校2年生の時。
ボクらは、高原に行った。行き先は、飛騨山脈。
これがボクらのあろうことか、修学旅行だった。
周りの高校は、北海道や九州にズンズン出かけるのに。
ボクらは山登り。なんて地味な修学旅行なんだと、皆でむせび泣いた。
アルペングッズ。
一つも持っていなかった。
分厚い靴下。重たい靴。それに登山用リュックサック。
これが修学旅行グッズなのかと、愕然とした。
黒四ダムの話を聞いた。担任は、そのダムを造るのにたくさんの日本人が犠牲になったという話をしてくれた。
その話はやがて、黒部の太陽の話に脱線し、最後は石原裕次郎が熱海の温泉に正月よく泊まりに来るという話に落ち着いた。
お前たちは将来、日本を背負って立たなければならない人材だ。
「黒部を見てこい」。話はそう結ばれた。
ボクらは、日本を背負う。だから高校生のうちに、登山用リュックを背負うのか。
はは〜ん。やっと話が繋がったな・・・。とアホなボクらは、そうして話を完結させた。
高2の6月。
トロリーバスに乗った。初夏なのに、周りは雪で囲まれていた。
蕎麦も食べた。
信濃では 月と仏と おらが蕎麦。
一茶が詠んだ通り、それはそれはうまい蕎麦だった。
そして、黒部第四ダムを見た。
目の前に広がる広大な風景にただただ感動した。そして・・・。
そして皆で山小屋に泊まり、寝食を共にした。
今。
この歳になって思うことがある。決してボクら、日本を背負って立つまではいかなかったけど。あの時の貴重な経験により、日本の国の基礎あたりでコンクリートの役割くらいは果たせるくらいに成長したなと思えるようになったこと。
あれっ?
高原列車はランランランランランゆくよ〜の話を書くのを忘れた。
それについてはまた今度書くね。