<私が好きな漫画家たち>

 

 

もう7年前に描いていた記事を

編集し直しました。

今回は私がショックを受けた

作家さん2人を紹介します。

 

まず最初は山上たつひこさんです。

 

 

山上さんとの初めての出会いは、

昭和47年の

高3の終わりごろでした。

実は中学高校の6年間、

ほとんどマンガを読んでいませんでした。

そこで「どれ今漫画はどんな感じなんだ?」

という感じで久しぶりに

少年マガジンを開いてみました。

すると、

 

「シビリアンコントロールの崩壊と、

軍需産業の拡大である」。

「え!?」私は思わず表紙を確認しました。

間違いなく少年マガジンでした。

軍国主義に突き進む

近未来の日本を描いた漫画でした。

「光る風」という作品です。

 

「えらいことになってるな」

というのが素直な感想でした。

「成人誌と変わらんじゃないか」

6年の空白で、

まさに浦島状態になっていました。

これが最初のショックでした。

 

それからわずか2年後、

2度目のショックです。

たまたま本屋で立ち読みしたのが、

「喜劇新思想体系」という作品です。

 

今まで読んだこともない

エログロナンセンス、

超下品なドタバタギャグ、

そして残虐なシーンと、

飛び交う差別用語。

今ではとても出版できない内容です。

なのに私は大声で笑いながら

立ち読みしていました。

 

このとんでもない漫画を描いたのが、

山上たつひこでした。

2度目のショックです。

あの社会派漫画を描いていた山上たつひこに、

数年間で何があったんでしょうか。

 

それからまた数年後、

少年チャンピオンで

この山上たつひこの新連載が

始まるという予告が出ました。

この人が少年誌に描くという事は、

またとんでもないことが

起きるんだろうなと思いました。

 

私の予感は当たりました。

 

※ 全身蟻にたかられるこまわりくん。

 

「がきデカ」です。

次から次へと繰り広げられる

エログロナンセンス。

突拍子もないギャグ。

成人誌よりはおとなしめでしたが、

それでも世間に与えたインパクトは

相当なものでした。

今度は私でなく

世間がショックを受けました(;^_^A

 

とにかく表現が過激な作家でした。

昭和だから許された作家だと思います。

 

 

次は、すでに日本の漫画史に名を残した人、

つげ義春です。

 

いわゆる売れっ子の

流行作家にはなりませんでしたが、

もはや生ける伝説になった人です。

 

初めて読んだ作品が、

代名詞ともいえる「ねじ式」です。

 

自分の見た夢をそのまま描いただけ、

という作品は、

漫画界に大きなショックを与えました。

 

 

漫画が芸術論で語られた、

初めての作品ではないでしょうか。

私はねじ式の緻密な絵に圧倒され、

感動しましたが、

漫画界、美術界で巻き起こる

漫画論、芸術論は

チンプンカンプンでした( ̄▽ ̄;)

 

私は昭和の時代の

貧しい人たちを

淡々と哀しく描いた作品も

好きでした。

そしてつげさんの旅行記も、

独特の哀愁があって好きです。

 

つげさんは子供の時、

手塚治虫神様に

「マンガは儲かりますか?」

と聞いたそうです。

 

最初は普通に流行作家に

なりたかったんじゃないかと

思うんですが、

性格として向いていなかった

気が.します。

でも歴史に残る人になりました。

 

 

※ 掲載した絵は、模写したものです

 

 

● 雑談

行きつけの近所のスーパーに、

セルフレジが導入されました。

最初は敬遠してましたが、

時代に置いていかれたくないと思い、

昨日チャレンジをしました。

 

店員さんに教えられながらでしたが、

スムーズにセルフレジでの買い物が

出来ました。

今日もまたセルフレジで

買い物をするつもりです。

新しいチャレンジは認知症予防にも

いいそうですから(^_^)

 

今日もお付き合い頂き有難うございました。