<懐かしい昭和の道具など>

 

過去にブログにUPしていたものですが、

よければまたご覧ください。

 

 

<買い物かご>

私が子供のころ、

母が買い物に行くとき、

持って行ってました。

きれいな色のビニールで

カバーされた針金で編んだ

というようなかごでした。

今も使われているんでしょうか?

 

 

<魔法瓶>

今は保温ポットというんでしょうか。

アラジンの魔法のランプ

みたいなデザインですよね。

魔法という言葉のイメージから、

こんな中近東っぽい感じに

したんでしょうか(^_^)


 

<白熱球>

笠がかかってないのは

裸電球と呼んでましたね。

蛍光灯が普及するまでは、

この白熱球が家の照明でした。

白熱球の明かりは黄色かったです。

 

 

<行李>

 

主に衣服などを詰めていました。

通気性は良かったんでしょうね。

いつの間にか無くなってしまいました。

 

 

<富山の薬>

 

年に一度、

おじさんがやって来ました。

30分ほど家にいて、

世間話などしながら、

薬を取り換えていきました。

おみやげの紙風船が、

なにげに嬉しかったですね。

今思えば、

薬をかついで全国を回って歩くって、

中々大変な仕事ですよね。

 

 

 

<ポータブルプレーヤー>

当然レコードのプレーヤーです。

当時は33回転、45回転と

78回転の3パターンがありました。

 

母はこのプレーヤーで、

民謡や邦楽をかけながら、

踊りの練習をしていました。

舞踊好きで踊りの先生について、

踊りを習っていました。

ですから、

町内の盆踊りや余興などでは、

嬉しそうに踊っていました。

 

 

<ボンネットバス>

昭和30年代前半ごろまでは、

路線バスとして走っていましたね。

 

そしてバスには

車掌さんが乗っていました。

車掌さんは大きながま口を

腰に下げていました。

 

車掌さんは車内で切符を売ったり、

回収したりをしていました。

揺れるバスの中でも、

足を踏ん張って

仕事をしていました。

そして、

狭い道路やバックなどをする時は、

外に出てバスを誘導していました。

女性の車掌さんが多かったですね。

 

ワンマンバスが主流になって、

車掌さんもいなくなりました。

 

 

中村メイコさんも昭和を引っ張ってきた人でした。

 

 

今日もお付き合い頂き有難うございました。