昨日からの 考察。




ひとにより 感覚が違うのは

何故なんだろう と 探究は続きます。 
 

浮かんだことは。 
 

「あったものが なくなると。

減った。 になり。

それにより

寂しい 悲しい が 起きていた」ということ。

そして 

「元々なかったひとにとっては。

そこに

「寂しい」とか 「悲しい」とか

そういう感情は 起こらないのだ」

ということ。

一つ前の投稿に

寂しい 悲しい の元には 

「愛」があった と書きました。

https://ameblo.jp/pelfect/entry-12790600062.html 
 
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それは、

「私が いっぱい愛していたのだ」という

私の愛の多さや 深さでありましたが。

「どなたからの 愛も そこに息づいていた。」 

という真実。

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自分が欲しい形の
愛の表現ではなかったにしろ。

自分が自覚できてない
愛の形だったにしろ。

自分が受取拒否していた愛にしろ。

「ない!ない!」

と 自分の穴に 意識をし続け。

嘆き続けた先で 

これに出会ってもいいのだと思うのです。

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この話を友人にシェアしたら。

「離れたり、なくなって

そのありがたさが分かるものです。」と 一言。

この方も 

何かが離れたり 

なくなった体験をされたのでしょうね。 
 
 
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同じことば 一つ取っても

体験を伴った方から発せられるものには。

深さや 響き方が違います。

同様に

体験された方が 受け取るものの

質も 深さも違ってきます。

体験は 尊いものです。

一つ一つが 人生だから。

だから 

私は 自分の体験や 気づきを

いつか 誰かが 受け取ってくださる

お手紙として。

ここにしたためようと思います。







寝る前に 

YouTube を開いたら。

これに出会う。

動画のコメントに書かれたものを見つけました。



「第三の目を開くには

自分の中にあるすべての光と影を見る

必要があったようです。」  

「第三の目は、

私たちが本当は何者であるかを

認識した時に開きます。

それは自分自身の内なる声に、

耳を傾けることからのみ、得られるものであり。

教師の教えを超えたものです。

それは私たち自身の経験でなければなりません。」

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2.22 は 父の命日でした。

今日感じた、寂しさ、悲しさ

その感情の源にアクセスした時に

それは「愛」だった とおりてきて。

そして

起こったシフト。

これも何かに導かれているように感じます。

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「第三の目を開こう、注意、準備が出来た時だけ
聞いてください 瞑想 528Hz」





深い 深ーい 気づきが。

自分の内側から起きています。

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ある出来事がきっかけで。

自分の内側から。
久しぶりに、

寂しい。悲しい。

そんな感情が立ち上がってきていた
瞬間がありました。

過去にも 
何度か 湧き上がる事もあったけど。

いわゆる ネガティブなものだと
取り合わず。

目標や 外の世界に意識を向けて。
そちらにエネルギーを回していたけれど、ね。

それは
気を紛らわしていたのだなと。

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その感情は、自分のどこに。
どんな作用を起こしているのかなと、
体で感じて その状態を認めて、受容して。

寂しい。悲しい。
その人格に、アクセスをしてみた。

そうしたら。

根底にあったのは 「愛」でした。

そう感じている私の中に。

愛がいっぱいあったのだと。

愛が深かった。

気づきが起きた瞬間に

ちょっと涙ぐむ私がいた。

あれは、魂が反応したのだろうか。

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そう認識したら。

世の中にある 
いわゆる 闇とか、
ネガティブと分類されている。

モノ コト ヒト

なんだ、全部 愛なんじゃないか。 

愛から始まっているのじゃないか。 
  
 

光とか 闇とか。

ジャッジしているのは 

わたし自身だった。

そう思ったら
いつも目にする光景さえも

嫌だなと思っていた場所も。

なんだか変わって見えた。

全ては 愛おしきものたち。

シフトした 瞬間でした。







#わたしの内側が変わったら
#世界が変わる
#世界は自分が作ってる
#全ては愛おしいものたち