土佐の国守・長宗我部盛親は、関ヶ原で西軍に参加して敗れた。

その結果、旧国主は土佐24万石の領国を没収され除封(じょほう)となった。

旧重臣たちは国を追われた。

 

 

 

長宗我部盛親

 

 

 

東軍として戦功のあった山内一豊が、遠州掛川から入封した。

長宗我部家に仕えた一領具足〔平時は田畑を耕して農民としての生活をしているが戦となると一領(ひとそろい)の具足(武器、鎧)を持って召集に応じる半農半兵の兵士のことを言う。〕は帰農した。

 

 

 

山内一豊


 

 

一領具足は、山内大名から新田3町歩開発を条件に郷士に採用され、郷士という下級武士になった。

または、農村庄屋になった者もいた。

 

 

 

一領具足の足軽〔高知城〕

 

 

 

高知の城下に屯在する山内家直参の上級武士と、地方の郷士や庄屋たちの間に、待遇差による階級と差別が生じていた。

 

後者の階級の下級武士が、差別解消の社会を目指す動きを示していた。

 

さぼ