お正月といえば百人一首。
高校時代のクラス対抗戦が懐かしい。
あなたが来ないと知っていたら
迷わずに寝てしまったのに。
あなたを待っているうちに夜がふけて
西にかたむいて沈んでいく月を
見てしまいました。
「大和心(やまとごころ )」という言葉が文学に出てくるのは、平安時代中期の学者である
大江匡衡(まさひら)が詠んだ歌に対して、妻の赤染衛門が詠んだ返歌が最初である。
それはこうだ。
大江匡衡に子供が出来たので、乳母を雇ったが乳が出ない。
「はかなくも思ひけるかな乳(ち)もなくて博士の家の乳母せんとは」
大江匡衡が皮肉った歌だ。
「乳」には知識の「知」がかけられており、知識もない女が博士の家の乳母になるとは、随分ばかなことを考えたものだ。
このように、乳母に厳しい態度をとり、そんな乳母を雇い入れた自分の愚かさと
妻に申し訳ない気持ちが、込められている。
この歌に対して、彼の妻である赤染衛門の返歌が素晴らしい。
「さもあらばあれ大和心しかしこくば細乳(ほそぢ)につけてあらすばかりぞ」
まあ、いいじゃあないですか、大和心さえ賢くあるなら、乳や知が足りなくても
博士の家に置きましょう。
この乳母が、子供を大切に育てようとする気持ちがあれば、それで良いですよ。
乳の出ない乳母、そしてその乳母を雇った夫に対して、赤染衛門は、寛大な態度を取っています。
つまり「大和心」とは、生きた知恵や常識、人を思いやる心のようだ。
さぼ