世の中や、自分の周りで起きる色々なことを見るにつけ。

「郷に入っては郷に従え」と言うけれど、おかしな郷からは逃げ出すことも必要だなと感じる今日この頃。



大学の部活は某球技でしたが、かなりの体育会系でした。

全員がほぼ同じ進路に進む、部活としてはかなり特殊な環境だったので、


「社会人になったら通用しないよ」


と言えば何でも罷り通った。

パワハラ、アルハラし放題だったと思います(かれこれ20年前の話ですが)。



「お前、社会人になっても、先輩の注いでくれた酒を断るのか」


「乾杯って盃を乾かすって書くんだよ。全部飲めよ」


と、女子の私でも言われる世界でした。


「競技が弱いんだからせめて飲み会で頑張りなよ」


と言ってくる先輩もいた。



これ、全部実際に言われたこと。

一言一句覚えてます。



でも、新入生の時って、齢わずか18歳。


そういうもんなんだ、と素直に思ってしまいました。




体質的にアルコール受け付けないのに、

「肝トレしないと飲めるようにならないんだよ」

と言われて、無理して飲み、帰りに駅のトイレで吐きました。本当に辛かった。


ところが、そういう駅で吐いたみたいなエピソードがあってこそ、一人前と言われるんですよね。

おかしな世界でした。



先輩のグラスが空になったら、すぐに注ぐ。

いつでも周りを注意して見ていないといけない。

グラス空!と怒られる。


でもね、下戸からすると、先輩だって自分のペースで飲みたくないのかな?と疑問に思うんですよね。

わんこそばじゃあるまいし、次から次へ瓶ビール注がれてもなって。

しかも、注ぎにいったら、自分も受けないといけないじゃないですか。飲めないのに。

拷問すぎる!


それで躊躇してると怒られる、の無限ループでした。

部活には好きな先輩もいたけど、飲み会は嫌だった。



その後、別件の持病でアルコールや夜更かしのドクターストップがかかり、晴れて飲み会免除。

参加しても、乾杯のビールに口をつけるだけで許してもらえるようになりました。


その後、下戸の人がアルコール無理して飲み続けると肝疾患を発症すると知って、早めにアルコールやめてよかったんだなあと思った次第です。



怖かったですよ。

先輩の無言の圧も感じたし(ドクターストップかかってるので流石に言っては来ないが、一杯くらいいけるだろという圧はあった)、ここで飲み会落伍者になる私は、社会人として果たしてやっていけるのかなっていう心配が大きかったです。

競技も最後まで弱かったし。





でも、いざ社会人になって拍子抜けした。


誰も、アルコールを強要してこないことに。


1杯目はビールでしょ、とかも言われない。


聞いてた話と違いすぎて面食らいました。


部活時代の飲み会は大嫌いでしたが、上下関係がある中でも、飲まずに楽しくその場に居られる飲み会もあるんだな、ちゃんと仕事の話をして、評価もしてもらえるし、腹を割って話せる場なんだなと、飲み会が好きになりました。


当然、飲めるからデキるやつとか、そんな意味わからん評価もなかったし、お酌も要らないと言われるし。


あの脅し文句

「社会人になったら通用しない」

は何だったんだろうか。



もちろんいろんな職場があり、飲めないと認めてもらえないようなところもあるでしょうね。


部活の先輩の1人は、きっと、そのような環境で、社会人になってもずっと生きてこられたんだと思います。


40過ぎてるのに、驚くほど部活脳。


分かりますよ、絡んできてくれる後輩の方が可愛いとか、可愛がられて色々教えてもらえた方が得だとか、飲み会は人脈を広げる場だとか。


でもさ、もう令和だから、通用しないよね。

今の若手でも、体育会系の人は、これだけ横暴でもすんなりハマるんだろうか。



部活時代の同期の結婚式があった時に、その先輩も来てました。

円卓ひとつ、まるっと部活の同期という席次になっていて、もう社会人になって3年経ってましたので、そりゃ話も盛り上がるし、楽しい時間だった。


そこに、くだんの先輩がやってきて、

「お前ら、同期だけで盛り上がる場と違うだろ、履き違えてるよ。瓶持って回って人脈作ってこそだよ」

と説教するわけです。



立食パーティーじゃないよ。

一流ホテルでの披露宴よ。




新郎新婦の両親が恩師や同期に挨拶がてら

「いつもお世話になってます、まあ一杯」

分かる。


顔見知り同士、隣の卓の先輩に、

「お久しぶりです、まあまあ一杯」

まあ分かる。


高砂に行って、新郎に注いで、

「おめでとう、まあまあまあ一杯」

まあまあ分かる(注がれたビール捨ててるのは知ってるけど)。



でもさ、私、振袖着てるのに、瓶ビール持ってお酌して回らなあかんの?

コンパニオンじゃないんですけど。


先輩は、男子を中心に言ったのかもしれないけどね。

男子の中にもしらーっとした空気が流れて、結局立つ子は1人いたかいないか。


多分、自分のところに誰も来ないのが腹立ったのかな。

でもさ、先輩のとこ行く前に高砂じゃない?



何回も言いますけど、お上品な結婚披露宴なのでね。

じっとしていることができないお子様以外は、基本は着席しているのがマナーなんじゃないのと私は思う。

高砂に行って祝福するのもこれまたマナー(強制ではない)。



社会人になって、3年目からコンプライアンスしっかりした職場に変わったところ。

うちの部活のやり方ってなんか偏ってたよなと、もうさすがに気づいていたので、先輩の言うことにはとても違和感がありました。


職場では、女性がビール注いだりすると

「セクハラになるからやめてー」

「好きに呑むからほっといてー」

と警戒する男の上司ばかりでしたので。



その先輩は、新婦のところにもビールをなみなみ注ぎに行き、来賓挨拶では新郎の元カノの話を匂わせるという最低な振る舞いを堂々とやってて(人選悪すぎるけど指名してもらえないとヘソ曲げたんだろうな)、ドン引きしてました。



同じような価値観のまま生きていける人って幸せなんでしょうが、本人の気付かぬところで周りからドン引きされてたりするので、自分も気をつけないといけないなと思います。



洗脳が解けたとはいえ、多感な時期をこのような体育会系文化に浸かって過ごした私なので、確かに、物足りないと思う時はあるんです、恥ずかしながら。


もっと食いついてきたらいいのにとか、若い時にちょっとくらい無理しないと仕事できるようにならないよとかは思うときはあります、正直。


でも、もう時代が違うのでね。

価値観も、置かれた立場もそれぞれ違うのだから、それを不満に思うのはお門違いだなと考えることにしています。

不満に思うのは、自分の境遇への不満を投影してしまってるからじゃないかな、と振り返るようにしています。


他人の選択を否定しないことも大切だと思うのです。





自分の常識は他人の非常識かもしれない。

だから、そこの常識に耐えられないくらい辛かったら逃げたらいい。

そこが世界の全てではないんだから。


心からそう思うし、子供達にもそう伝えたいなと思う今日この頃です。



若手にも逃げる自由はあるし、私にも彼らから逃げる自由はあるんだぜ。