いつも拙いブログにご訪問いただき、ありがとうございます(*^^*)

子宮体癌発覚の経緯と治療についてを過去から記憶を遡って書いてきましたが、ひとまずリアルタイムに追い付きました😅
現在、経過観察になりましたが、思い出した事等も書き加えて行こうと思います。

テーマ別にしましたので、そちらからご覧頂けたら、と思います。

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私は、2000年と2004年に子宮筋腫核出術を受けてます。

どちらも、会社の健康診断の際に腹部エコーで要精密検査になって判ったのでした。

婦人科にかかったことがなく、病院を何処にするか?からでしたが、母が通院していた病院に産婦人科が有ったのでそちらに行きました。

問診票を記入し、持参した健康診断の結果を見て頂き、内診。
かなり大きくなってしまって、手術対象の大きさでした。←メロン大とか赤ちゃんの頭位とか?…💦

ここに至るまで、全く自覚症状が有りませんでした。
生理の出血も普通、周期も一定、貧血も無し…💦
ホルモン治療で疑似閉経にして、筋腫が小さくなってから手術する方法も有るが、今ならそのまま手術できるギリギリでした。

こちらの病院では週に1度、提携病院から教授がみえて、手術や難しい症例の患者さんの予約を取って診察します。←教授、と言っても名誉教授的な?現役ではないような…😅
私も、教授診察を受けて今後の相談をしましょう、と言う事になりました。

教授診察では、筋腫の大きさ、全身状態の確認、手術方法等の話が有りました。
私は、未婚で有ることや今後の可能性も考えて子宮温存を希望しました。
本人の希望に添って手術する前提ですが、開腹した状況によっては全摘になる可能性も有ること、その場合は家族に説明する、等を確認しました。

その頃、テレビで視た医療番組でちょうど婦人病について特集をしていました。
夫婦共働きが増え、子供を持たないディンクスが増えている。そんな時に、子供を望んでなかったキャリアウーマンが婦人病になり子宮全摘で子供が産めなくなった、と言う内容でした。
子供を産まないのと産めないの大きな違い。私の決断にも少なからず影響しました。

家族とも相談し、上司にも相談して、会社の休みが取りやすい時期に手術する事になりました。
仕事が忙しく、事前検査をする余裕が無かったので、入院してから術前検査をする事になりました。
毎週金曜日が手術日ですが、月曜日に入院しました。

常勤のA先生の他、週に2回来るB先生が居ました。常勤の先生が診断書や手術計画等の事務的仕事をこなす日に外来に入ってました。

ある日、回診に来たB先生が衝撃的発言をしました💥

「既にお聞きになってると思いますが、筋腫の大きさは手術対象の大きさまで育ってしまってます。まー、子宮は取ってしまっても体には何の影響も無い臓器ですから…」

はぁ?ちょっと待って😡💣⚡
まるで私の手術は全摘が前提のような話ぶり😨
教授と話した事が伝わって無いのか?
私は、婦人科師長さん、主任さんに事の経緯をお話しました。
このままでは納得出来ない❗と言う事を伝え、改めて私の希望を伝えました。

すると、入れ替わりに、総師長さんと常勤のA先生が来られました。
教授との話もちゃんと伝わってる事、私の希望もちゃんと聞いてる事、B先生の発言を謝られました🙇

術前検査までしましたが、場合によっては転院しようか?とも考えてました💦
聞く所によると、B先生の失言は初めてではないようでした😱実際、怒って転院した方もいたそうです。

母が長年通院していた病院で、先生方とも看護師さんとも顔見知り。
母が、主治医の副院長先生に話したらしく、病室まで様子を見に来られました😅
ごねてるわがまま患者みたい😅

結局、核出術で済み子宮は温存できました😌

2004年の時は、前回と先生も看護師さんも変わっておらず経緯もご存知なので、スムーズに進み、この時も核出術で子宮は温存できました。
ま、結局ご縁が無くて、未婚・出産経験無しのままですが💦

当時は癌のリスクなんて全く頭に無かったのでね…💦あの時、子宮全摘だったら癌にならずに済んだのか?

~たら、~れば、何て考えず、上を向いて前を向いて、現実を受け止めて進みます😆