金曜日
インドへ短期留学に行くことを決めた。話を聞いて考え始めて三日で決断。憧れのインドへ、二月上旬~五週間の予定。
二十二歳の誕生日はインドで迎えることになりそうだ。
そして朝から恋人と連絡がつかずに困っていたのだが、夕方になって入院したとのメールが来た。インド留学のことを一番に伝えたかったけれど、状況が状況であったので、我慢。
土曜日
昼頃に起きてから、ひたすらオークションに出品し続けた。
夕方、入院中の恋人からようやく電話が来て、とりあえず安心。
少ししてから、帰宅した父に、一階で我が家の愛兎が死んでいたことを知らされた。二階の自分の部屋に篭っていたので気付いてあげることができなかった。
昼から二・三度、元気にしているところを見たが、動物も人間も死の間際になると言うくらいだから、何時だって油断はできない。ここ数日元気が無かったことや、好きなオヤツも食べなかったことから、父も母も僕も心配はしていたのだけど。あまりに突然だったのと、気付いてやれなかったのとで、未だに死を受け容れることができていない。どんな形で死んでしまったとしても、直ぐに受け容れることは困難なのだろうけど。
夜中に父から電話があり、埼玉の八潮で酔い潰れてるから警察を呼んでくれと言われた。五十にして天命を知るという言葉があるが、五十二歳になる父も、こんなことで死んでは堪らなかったろう。急いで母と車に乗り込み、父を探しに行く。どこにいるか訊ねても「駅前のホテルの駐車場にいることしか分からない」の一点張りに困ってしまったが、警察に電話で保護を求めた。
一時間足らずで八潮駅に到着。そこで不思議な場面に遭遇した。何もない道で横から、ではなく、いきなり車の前にウサギのような生き物が現れた。すぐに走り去ったのだが、車から離れた途端に、見失うはずもないような場所でパッと消えた。母とあの正体について話し合ったが、結局何もわからないままだった。
そうこうしているうちに警察から電話が来る。父を保護したとのことだったので、急いでその駐車場へと向かう。雨の中、泥酔しきって駐車場に寝転がる父。寒さで体が震えていた。後で聞いてわかったことだが、「漢気ジャンケン」をして勝ち進んだ父は、大量の酒を飲んだのだそうだ。まるで武勇伝のような口ぶりで聞かされたが、自業自得でしかないのに家族や警察を巻き込んだ父は、反省なんかしているのだろうか。
四時頃に帰宅して、車内で眠る父に布団だけ掛けてから自分も眠る。ドタバタした週末に呆気に取られたまま、入眠した。
日曜日
朝、目覚めると父も母もいなかった。どうやら、八潮まで父の車を取りに行ったようであった。少しオークションの連絡などを済ませてから、帰宅した父と母と車に乗り込み、父の会社の側にある火葬場へ向かった。
火葬場は、通りに面した小さな所であった。駐車場に車を停めて、受付を済ませる。到着してものの十分もしないうちに、黒服で全身を固めた男に名前を呼ばれた。火葬が始まる。最後の別れだけは、いくつになっても、上手く振る舞うことができない。
火葬が終わるまでの間、プレハブ小屋のような待合室で待つ。園内にいた小太りで白と茶の混ざった猫がよく懐いてくれて、終始僕の膝の上に居座っていた。
猫を膝に乗せたまま、待合室にあったウサギの本を読む。知らないことだらけの自分に愛想を尽かしてしまいそうになった。火葬場の煙突から黒い煙がもくもくと上がっているのが見えた。
また男に名前を呼ばれる。次は、納骨というやつだ。「こちらがお顔になります」と聞いたときに、恋人に聞いた耳の穴の話を思い出したが、全く笑えなかった。箸で手足の骨を摘み、白い陶器の中に骨を置いた。「カラン」と、とても乾いた音を聞いた。満遍なく脳内に広がる記憶や、過ごした生涯が、こんなにも単調で短い音に収束されることに、僕はある種の恐怖に似たものを感じた。
納骨が済み、最後に線香を上げる。母が火を灯した線香が、二本のうちの一本だけ、火が消えてしまっているのが見えた。録音された経が、終始小さな部屋に木霊していた。
夕飯は、印西市にあるモールの中の中華バイキングだった。味の強さもろくに理解できない脳で、無味に近い中華料理をボソボソと貪った。
店を出てから、中華屋の隣りにあるエスニック雑貨の店に入った。金曜日に会う姉の誕生日プレゼントを探した。母はポンチョとトートバッグを、僕は二階にあるヴィレヴァンで動物の写真集を買った。喜んでくれるだろうか。
姉はまだウサギが死んだことを知らない。誰がどう伝えるつもりなのだろうか。次に会うのは、姉の誕生会であるのに、そんな場で話はできないだろう。何れにしても、僕が姉に伝えることは無いのだろうが。
あっという間に週末が過ぎ去る。明日からまた学校が始まる。僕は元気にやっていけるだろうか。空っぽの頭が、空白を増して遂には白い無の空間になったような気がしている。

