毎年この時期になると、欠かさず行く場所があります。 今年で14年目。

そこは南部の大里村にある、動物愛護センター。 毎年9月は動物愛護週間があり、その週の1日は合同慰霊祭があるので、通い始めてから7~8年は慰霊祭の日にセンターの方たちに紛れてお線香を上げていたりしたのですが、ここ数年は行ける日に友達と訪れています。



peko-tinがゆく!-動物愛護センター
数年前に建てられた立派な碑



私にはペコを飼いはじめて数ヵ月後に迎え入れたゴマちゃんと名づけた子猫がいました。


peko-tinがゆく!-ゴマ

ゴマちゃんがうちに来たとき、季節は12月の寒い時期でした。

生まれてからまだ1ヶ月にも満たないゴマちゃんを、無知な私は彼女の体の約倍はあるペコと同じ部屋で飼い始め、寒さとストレスのせいか、ある日からゴマちゃんは下痢が止まらなくなってしまいました。 


動物病院に連れて行こうと決めた朝、私は職場の福利厚生のボウリング大会に出かけました。 そして午後自宅に戻ると、低い唸り声を上げながら倒れているゴマちゃんを見つけました。 急いで動物病院に連れて行き、そこで応急処置を施すと、ゴマちゃんが力なく動く姿を見て心からホッとしたのもつかの間、夜中に容態が急変したらしく、病院の方が朝様子を見に行ったらすでに息を引き取っていたという電話が翌日ありました。


ゴマちゃんの体調が悪いのを気づいていたのに、私はのうのうとボウリングに興じていた自分が許せなくて、今まで体験したこともない激しい自己嫌悪に陥り、本当に長い間泣いてばかりで過ごしました。 罪悪感というものがこんなに苦しいものだと生まれて初めて知りました。


ゴマちゃんを引き取りに行った日、院長先生は彼女の亡骸を見せながらどういう状態だったのかということを説明し、申し訳なさそうに『助けられなくてゴメンね』と言ってくれ、涙が止まらない私を気遣って、亡くなってしまった他のペット達と火葬してもらえますよと申し出てくれたので、私はそうお願いして動物病院を後にしました。


時間が過ぎるのは早いもので、あれからもう14年。 でも、ゴマちゃんを病院に連れて行ったときの記憶は鮮明に残っていて、自分がどんな髪型でどんな洋服を着ていて、どんな気持ちだったかもはっきりと覚えています。 唯一の救いは、私がゴマちゃんの死をペコになすりつけるろくでなしではなかったこと・・・。 ペコはただ新しい友達と遊びたかっただけなんですよね。



私の罪の意識は一生消えることはないし、消そうとも思っていません。 でもこの14年で色んな人たちや本に出会い、悲しんで後悔しているだけでは何も意味がないということを学びました。 今では自分なりに毎日を前向きに生きていれば、あちらの世界で必ずゴマちゃんと会えると信じているので、人生最後の日まで悔いなく過ごそうと思っています。 またゴマちゃんに会えた時は、ほんのつかの間彼女が楽しそうに遊んでくれた猫じゃらしで思いっきり遊んであげたいです。 それこそペコが嫉妬するくらいに。


ゴマちゃん。 私のせいであなたの小さな、でも大切な命を奪ってしまってごめんなさい。 また会える日まで待っててね。



peko-tinがゆく!-ゴマ



peko-tinがゆく!-動物愛護センター