クイーンから日本のファンへ
クイーン単独インタビュー【後編】ブライアン・メイさん
抜粋しています
ある時、僕もフレディも人間関係でそれぞれ苦しい思いをしていたとき、向き合って話したんだ。そしてこの曲は、ある意味、僕とフレディの気持ちを一つにするような形で書いた。フレディは男性のことで、僕は女性のことで苦しんでいたんだけど、これは同じことで、実はそれぞれが同じ話をしていたんだ。それぞれの痛みについて多くの言葉を交わしたんだね。
それを歌にするのは良いことで、聴いた人を救われた気持ちにしたり、自分のことを歌っているんだと思ってもらえたり、お互いの理解を深めることにもつながる。でもビデオを作るときはフレディは面白いことがしたくて、映像全体をメタファーにしたんだ。苦しい生活だ、でも人々は僕にブドウを与えてくれて、お金もくれる。美しい家に住み、すばらしい人生を送っているように見えるけど、それでも心には痛みがあるんだ。とても軽くて、取るに足らないようなメタファーさ。結果的には、多くの人があのビデオを酷評したけど、いい論点を提示していると思うよ。
どこにいても、どれだけ成功していても物質的な豊かさに囲まれていても、心は痛むものだし、そんな誰かとつながりたいという痛みを通じて人間は会話をする。つながりがほしいからこそ、僕たちはつながるんだ。
中略
記者)
2011年の東日本大震災では復興支援アルバムにも参加しましたよね。感謝しています。
(ブライアン)
僕らは本当に日本のことを思っているんだ。ある種の責任感みたいな気持ちがある。僕らの世代からすると不思議なことで、親の世代は日本と戦争で敵対関係にあったわけだよね。
初めて日本に行ったとき、父親は「日本に行ったんだって?大丈夫なのか?」って言ってたのを覚えてるよ。父親にとっては人生の大半がそういう争いに関わっていたわけで、複雑な気分だったに違いない。それで僕が日本でもらったプレゼントを見せたり、観客の声を聴かせたりしたら、彼の意見が変わってきて、日本がどれだけすばらしかったのかを理解してくれたんだ。
僕らの世代にとって、それは日本との新しい関係を作っていくことで、大切なことだった。僕は国際主義者で、今世界で起きていること-ナショナリズムが再び生まれていることや、その影響を心底嫌悪している。イギリスがヨーロッパから出て行くという考えも大嫌いだ。後戻りだと思っている。
僕は壁ではなく橋を作りたい。だからアメリカで起きていることも嫌いだ。だから僕はこれが世界にとって一過性のものに過ぎないことを願っているし、これを乗り切れば、世界を一つの惑星にする作業に戻ることができると思っているよ。
世界のあちこちのコミュニティーが人類として一緒になる。それがすべてさ。
(記者)
アルバムに収録された日本語の曲「手をとりあって」は震災当時よりもずいぶん前に作られた曲ですが、人々を再び前向きにさせる力があります。曲はどのようにしてできたのでしょうか?はじめから日本語で歌うことを念頭に作ったのですか?
(ブライアン)
曲の誕生というのはいつも複雑で、はっきり説明するのが難しい。でも一気に降りてきたんだ。
僕には、自分たちが日本との間に感じている絆を表現する曲を作りたいという思いがあって、まずおおまかな英語の歌詞のアイデアが浮かんで、サビの部分の歌詞はかなり早くできた。そして当時通訳をしてくれていたすてきな女性、鯨岡ちかさんが一緒にいるときに、日本語の歌詞をつけてみたいと持ちかけてみたら、すぐにできると返事があったんだ。感謝してもしきれないよ。そして彼女にひとつひとつの音節を追いながら言葉がどんな意味を持つか教えてもらった。
だから日本語のサビの歌詞をつくるのにはかなり時間をかけた。それ以外の部分はそれに加えていったんだ。サビは曲の核となる部分で、日本語と英語でできている。メロディはどこからきたのかわからない。メロディがふっと思いつけばラッキーだし、そのまま忘れてしまえば…謎めいた作業なんだ。
でも作業をしているときは、とても充実した気分だった。そして帰国してレコーディングをしたんだ。曲の中に「それぞれに同じ月は輝き、同じ風が吹く」って言う歌詞があるんだけど、それは僕らは外を向いているんだけど、同じ宇宙を見つめている、同じ人間なんだということを言い表している。永遠につながるという考え方にとてもはっとさせられたんだ。
もちろんファンのことを言っているんだけど、日本でのひとつひとつの出会いのことも指している。ぼくにとってとても大切だからね。そして宇宙のことも指している。歌にはいくつもの異なる層があると思っていて、それに気付いていなかったとしても歌詞を書くと、いくつもの層が生まれる。日本の人たちが困難な状態にあったとき、何らかの影響を与えられたのであればうれしいよ。