私の病名は、左の乳ガン、HER2マイナストリプルネガティブ。乳ガン患者の約10%を占める、ホルモン治療等は効かないタイプ、厄介な方の種類だ。

 

にもかかわらず、手術や抗がん剤や放射線を止めて、横浜のM先生クリニックで、マイクロ波照射を、週に2~3回行っている。50㎝四方の2枚の鉄板の間に立ち、3分間ほどマイクロ波をかけて貰う。ちょっぴり熱く感じる日もあるが、それでおしまい。副作用はない。


 そこに通うと、自宅でも治療が出来るように、患者はOnーQ(温灸)と言う、アイロンみたいな温熱器を必携とされる。


三井 と女子(みついとめこさんだが、みついとじょし、とずっと思っていた)氏推進の治療器だ。全長30㎝の値段は7万円台。

患部に注熱し、血液を循環させ、栄養と酸素を送る。自律神経に活が入り、大概の病気を、退散させる効果がある温熱治療だ。

ガン細胞は熱に弱く、42℃で死滅すると言われているので、病気に立ち向かう事が出来るアイテムである。

 

 食事療法で糖質制限の『兵糧攻め』、

フィリピンに行き神霊手術を受け、マイクロ波を週に2~3回、OnーQは朝晩毎日かける。これだけやれば、無敵、大丈夫なハズだ!


 ところが、フィリピンから戻り、3月に入ると、腫瘍が1.8cm→3.0cmに大きくなっているではないか!

 

M先生は2019年の1月頃から、ガン細胞のエネルギーはどんどん小さくなり、快方に向かっていると言ったのに~。ナゼ⁉️


M先生:「ガンじゃないなー。ガンの上にバイ菌が入り、腫瘍が大きくなったのかも…」

ガンではないと言われ、その言葉に少し安心したが、素人だとしても、納得するのは難しい。


先生のオーリングテストの指は、どの機器よりも精密で、胞子レベルから、ガンを発見出来る、と信じていたのに、違ったの⁉️

そう言えば、M先生はカルテを見ないと、20年間通っている、函館の高校の後輩の、私の名前を思い出さないし、辻褄の合わない会話が多くて、話が中々前に進まない。この状況で“ボケ”た、とは思いたくなかったが、だんだん信頼度のボルテージが下がって行く。


M先生は、女子医大を定年した時にメスを置き、自由診療のクリニックで開業したから、保険医療の行為はしない。検査が必要なので、同じ志を持つM先生一門の、別のクリニックを紹介して貰う。


 中野坂上にあるNクリニックの先生に、血液検査をお願いし、MRIセンターの検査予約も入れて貰った。


結果は当たり前にガンで、N先生が「腫瘍を手術で取りましょう❗️私が切ります」と、言って下さった。涙が出るくらいホッとした。


その頃から、腫瘍の痛みも付いて来たので、“もう切りたくない‼️”レベルは、とっくに、卒業していた。


『ガンでは無い』と、権威のM先生が言い切ったので、そこには触れず進めた。

M師匠の診断は、弟子のN先生としては、否定出来ない。

私はその吟味より、早くどうにかして欲しい❗️の気持ちで一杯だったから。

 

ラジオの仕事は3月一杯で満期終了して、治療に専念出来る環境は整った。


それでも、紹介状を手に入れるまで時間がかかり、Nクリニックに辿り着くのに、1ヶ月以上掛かかってしまった。

4月半ばになり、世の中はゴールデンウィークモードに入ろうとしていた。

 手術日程など、連休明けに連絡しますよと、Nクリニックから言われた。


“待て!”を食らった状況だ。その待たされている間の、長いこと長いこと😅


その間も、少しお見立て違いをする、横浜のM先生の、マイクロ波には通い続けた。何もしないよりはマシだからだ。

効いても効かなくても、1回につき、1万円と消費税がかかる。


 N先生の準備に、そんなに掛かるのか⁉️と、疑問が出てきた頃、ようやくNクリニックから連絡があったのは、連休が明けて1週間経った頃。


 N先生からの次なる指示は、川崎の新百合ヶ丘にある総合病院の、放射線科のサイバーナイフの専門家に会い、相談すること。

『N先生の、手術の打ち合わせじゃないんだ。それならもっと早く、連絡下さいよ~』


しばらくして、新百合ヶ丘の病院で、サイバーナイフの本を、何冊か出されているM崎先生に会う。

そこでペット検査をした結果、M崎先生から

「体のあちこちにガンが飛んでいるね。そんな主流じゃない治療法は止めなさい。生きたいでしょう!乳ガンは、80%治ると言われているが、5年生存出来ない患者の20%の中に、あなたの、HER2マイナストリプルネガティブタイプの人たちが入るんだよ。まっとうな病院に来なさい!!そんなに小さなクリニックじゃ、キチンとした手術の設備は無いから、止めなさい」

と、説教されて病院を後にした。


どうしようか?ボーッと魂が抜けてしまった。指令を出した、中野坂上のNクリニックへ、その日の内に向かった。


『サイバーナイフは、そもそも手術を新百合ヶ丘の病院で受けた人に、サポートするために施術する方法。3㎝以上の乳ガンの腫瘍を、切除するものではない』

と、M崎先生の報告をした。

勿論、N先生へ、

『小さなクリニックでの手術は、信頼出来ない』

とは、言えなかった。


そこでN先生は動いた。堺市のK先生に、紹介状を、その場で書いてくれた。

『やっぱり、自分で手術することはしないんだ!それなら、初めに言ってよ~』


大阪府堺市のK先生とは、何者か?

M先生から、以前より、手術が上手い医師が居ると聞いていた。場合によっては、抗がん剤や放射線などの、余計な事(M先生の持論)をしない。

先輩のM先生は、札医大時代の後輩K先生に、必要があれば、これまで手術を依頼して来た。


ただ、最近は連絡を取っていないため、今でも、現役かどうかは分からない。

関西圏の未知の先生だ。


腫瘍が大きくなり始めた時から、同時進行で、K先生の手術をお願いしていたが、耳が遠くて、約束は忘れてしまう、M先生の記憶にとどまらないようで、一向に話が繋がらなかった。


頭がクリアな時のM先生からは、持論を聞かされていた。

『大体の病院は、手術の成功だけを考えているよ。手術後の患者の人生を考えていないから、何でもかんでも、大きく患部を切り取り、不自由な体になってもお構いなし。それで良いなら近くの病院で切りなさい。』

呪文の様に、こだまする。

この響きで、新百合ヶ丘の病院で言われた、

『まっとうな病院に行きなさい!』

のささやきは、消えた。


 師匠M先生からの依頼は、先生が忘れるため、延びに延びて、同じ門下生の、N先生からの依頼となり、堺市のK先生に届き、それからは1週間で、初診に漕ぎ着けた。


『手術の為に大阪にいくぞー。フィリピンよりは近場だ!』


すでに6月に入っていた。

 腫瘍もさらに痛みを増し、前より成長して5cmほどになっていた😰


〖ここまで長くなりましたが、付いて来て貰っているでしょうか?整理すると┅


M先生(師匠)→N先生(弟子)→M崎先生(サイバーナイフ)→N先生(依頼)→K先生(M先生の後輩でN先生も間接的に知っている)


 2ヶ月ほどの間で、M先生のクリニックからスタートし、3つの病院巡りをすることになり、大阪府の堺市まで、行き着いた所まで語っております〗


 ┅でも~これって、これって、もしかしたら

“漂流患者”じゃないの?

自由診療の光と影を、存分に味わうことになった。