小さい頃にとってもよくしてくれた方のことをふっと思い出しました。

若い青年でした。すっごい優しく笑う人だったな~


交通事故という不慮の事故でなくなってしまったんだけど。

年上好きな理由は実はそこにあるんだろうか笑


大好きだったけど、今から考えるとやっぱり恋愛感情ではなくて敬愛感情だったんだよね。


思い出した理由なんて楽譜読みながら歩いてる大学生くらいのお兄さんがそのひとにそっくりで、とってもなつかしてほわんてしてしもうた。

ピアノとっても上手なひとだったなあ。


いなくなってかなしい!もうアタシ生きていけない!

とかじゃなくて、いい思い出としてしまっておける故人がいるということは幸せなことじゃないかと思いませぬか?


昔はもっと鮮明だったものいまはやっぱり薄れて、声とかあんまり思い出せないけど。

きっとこれからもずっと風化していって、きっと顔も思い出せなくなるけど(あ、写真があるか)。



それがいまでもずっとくせに残ってるっていうか、わたしは誰かを見送る時には最後までしっかり見つめて別れを惜しむっていう。

無駄に別れる時みんなには「気をつけてね、気をつけてね、って言いまくってるとおもうんですけど。無意識に口から飛び出してしまう笑

上記の事がすこし妙なところでトラウマとかになってるのかもしれない、と不思議とセンチなことを考えてみた。


鍵ががちゃがちゃしたらぴゅーん!とベッドから飛び降りて見送りに行くのはわたしです笑

お見送り少女。


だって、いつ会えなくなるかわからないんだもの。

見送りしなかった日が最後だなんて、悔やんでも悔やんでも足りないしきっと悲しくてわたしもしんじゃう。

だからだれかとの別れはいつもちゃんとするのです。


まあの場合はおんなじ家に住んでないししゃあねえなあ、とは思うけどやっぱりくやしいよね。


おととしも後悔するようなことあったしね。ずうっとお世話になってた人なのに、なおるとおもってたからお見舞いにも行かないで。

あーもう くやしいなほんと


もう会えないんだとおもうとほんとうくるしくてかなしくなる。

最後の顔すらも見れなかったし。あの人は肉体すらこの世に残ってないんだと思うと切なくなります。


あ、落ち込んでたりするわけじゃないので安心して下さいしゃきん

久しぶりの長文思考記事です笑


ただ、みんな親や大切な人と数分だけだとしても離れる時にはちゃんとお別れをした方がいいと思うの。

いつが最後になるかわからないんだからね。

これだけはずうっと教訓です。誰に言われたわけじゃないけど。自然とそうしてしまうようになっちゃったんだもんね。ていうか原因があるんだからそうなるわな。うんでも、これで良かったんだと思うね。