みなさまいかがお過しでしょうか。

ぼくはいまお風呂です。バス!

こんな日はひたすらに「海辺が近いため錆び付きやすいものは持込してはならない」を聞きまくりましょう。

わたしだけ´`

たくさんのひとがかいてと卒業アルバムを渡してくださいましたありがとう。この学校は、いい思い出ばかりではありませんが(でもそれは誰にでもあたりまえなことで)ものすごく楽しかった。きっと卒業シーズンな今、どのひとも思っているんだろうね。同じ思いばかりで、所詮みんな同じ人間だ。一年生から三年生へ、目まぐるしいほどの時間の経過。まだ入ったばかりみたいな気分だよ。でも出ていく日は明日だね。早いよね。寂しい気持ちを引きずっていると前には進んでいけないけれど、ときには必要なときってあるんだよなあ。涙は出るかわかりません。自分は、そういうものを表へさらりとこぼすのはあまりいいことだと思っていないみたい。素直に泣くことはよいことだと思うんだ。やっぱり恥ずかしさ先行なのかな。かっこつけだから。ちなみに三年生になってもボタンもらいたいひとのひとりやふたり、あらわれなかった。理想が高いとかじゃないと思うの。

やりたいことが自分にはまだたくさんある。やりたいことのうち、してないことなんてたくさんある、指が足らないくらいに。わがままでないものねだり、やりたいことはぜったいにやるひとだからだと思う。好きな人ができないんじゃないと思うんだよね、人間だし。きっといままででもいたんだろうけれど、自分を優先していくとどうしても恋の選択肢は零れてしまう。時間がもったいない、なんてことをすこしでも思ってしまう。

いけないことだろうね、でもそれがわたし。ひとつのかたちとしていまあるのは、わたしで、それを形成する成分はそんなこまかいかたまりばかりです。

未熟者。

ねぼすけでわがままで自由奔放で言いたい事を言うしやりたいことするしなにも省みないしめんどうくさがりだし、優しくないね。

でもいっぱいいっぱいなんだよなあ。常にキャパオーバーなかんじがする。それに日々をぎゅうぎゅうにつめているわたしはまだえらい。…よね?

なんだかんだいって、この中学生活三年間って人生のなかでやりたいことが定まった大きな起点だし、そこにいる好きなひとたちはみんな好きです。関わってないひとはどうでもよろしいなんて思ってるぼくはわるいこですがそんなものです。明日はばかなんてひとこともいわない。だいすきを届けたい。自分が普段言わない言葉をたくさんたくさん届けてやりたい!

明日みんなの道が分かたれても変わらないことを強く強く願います。

みんなしあわせでいられるよう。

ほんとうにだいすきだ、言葉が足りないっていうのはこれだね。言葉をたくさん知らないのは損です。

うまく気持ちを伝えられないから。

だからみんなには気持ちを電波で届けます。ありがとうね。