フンドーキン | PEKO'S NICE GUY TODAY 別館

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現状を大雑把にダラッと綴る。友人・担当編集らに向けた、連絡掲示板的日記。


私にとって「フンドーキン」といえば、 “ やしきたかじん ” 。

たかじんが大阪のテレビでこんなことを言ったらしい。
「フンドーキンのちゃんこ鍋の素は安くてめちゃくちゃ旨い」。
その発言をうけ、
熱狂的なたかじんファンの編集メガーヌのお母様が
大分からわざわざお取り寄せをした。しかもケース買い。

そのエピソードを編集メガーヌ♂から聞いたのが今から10年、
いや15年くらい前かな。
メガーヌ曰く、「実家で食べたけど、たしかに超うまかった」。
以降、私と編集TAKA♂の間では
たかじん=フンドーキンとなり、しつこいほど語り継いでいる。

芦屋出身で「朝食は銀食器を使う」という
上品な編集メガーヌのご両親は、
たかじんファンクラブの会員である。メガーヌも、
それから彼の出来の良すぎる弟も、しっかりとその血を
受け継ぎ熱狂的なたかじんフリークだ。

編集ヌボタ♀はこう苦笑いする。
「 “ 知ってます? 最近、たかじん眼鏡変えたんですよ ”と、
メガーヌ得意のドヤ顔で言われたことが、
私が生涯最高にどうでもいいと思ったエピソードです」

たかじんは東京もんにとっては馴染みが薄い。
だけど私はお笑い記事の執筆が多かったということと、
飲み仲間である編集メガーヌの影響で
日々のたかじんリサーチを怠る事はなかった。
時には大阪からビデオを取り寄せたり。

「とにかくこれだけは言えます。
やしきたかじんみたいな人は二度と出てこない
なんて事はありません。
やしきたかじんみたいな人は多分、また出てきます。
ただ、次にやしきたかじんみたいな人が出てきても、
そう言う人が出る番組はもうない筈です」

ツイッターでRTされてた一文。妙に説得力あるよね。

全国放送のテレビ番組は、
スポンサーや代理店のお伺いをたてながら構成してる。
余計なことや正論を言うタレントは即座に首を切られるか、
あるいは改編時にそっと消されてる。
こんなんだもの、面白い訳ないじゃない。
くだらないルールや建前が、
いまのテレビをつまらなくしている要因の一つなんだ。

たかじんさんは、荒ぶるオトコ。
真っ向から正論派で面白かったな。
けど、彼が病に倒れ、彼のいなくなった冠番組は
見事に失速していったね。
ド真面目に正論ぶつけただけのレギュラー陣が
降板させられたり。
「たかじんだから言ってもセーフなんです」という風潮が
スポンサーや代理店の根底にはあったんでしょうけど、
そういったくだらないルールが視聴者離れに繋がるって
ことは残念かな、全く計算できなかったんでしょうね。

とにかく、とても惜しい人が亡くなってしまった。

編集メガーヌの朝日新聞記者の友達が書いたという
記事が、なかなかグッときます。
大阪版の朝日新聞夕刊に掲載されたそうです。
貼付けますね。

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歯に衣(きぬ)着せぬテレビ司会者として知られ、
3日に亡くなったやしきたかじんさん(64)。歌手や
タレントの枠を超え、政治や社会についても、庶民の
不満や本音をずばりと代弁した。
その姿勢はお茶の間に支持される一方、自身や共演者による
行き過ぎた発言が批判を受けることもあった。

2003年に放送が始まった読売テレビの
「たかじんのそこまで言って委員会」で、
当時チーフプロデューサーとして番組を立ち上げた
山西敏之制作局長(57)は
「スタジオでは呼び捨てにする出演者へも、
細心の気配りをしていた」と振り返る。

「番組を作るんやったら、番組に出てくれる人たちへの
おもてなしの心を大事にせえ」と教わった。
ゲスト出演する評論家やタレントは大半が関東在住。
たかじんさんの意向で、出演者用の弁当は京都のすし店から
取り寄せ、帰りの新幹線でも食べてもらえるようにした。
政治評論家の故三宅久之さんの体調がすぐれず、
夫人が降板を求めた際には自ら夫人に電話で連絡し、
「先生がいないと成り立たない。どうかお願いします」
と話し、夫人をスタジオに招いたという。

たかじんは東京が嫌い——。
山西さんはそうした見方を否定する。
「東京制作の番組が多いなか、大阪発信で支持を得て、
東京の人に見てもらうようになるんだ、
といつも話していた」という。

芸能リポーターの井上公造さん(57)は、
取材者としてだけでなく、プライベートでも親交があった。
携帯電話には、たかじんさんから「今日の番組見たけど、
あの中途半端なコメントはあかん。
もっと視聴者目線でハッキリ言え」とのメールが
たびたび届いた。助言を受けて思い切った発言をすると、
「腕を上げたな」とのねぎらいも。井上さんによると、
たかじんさんの自宅には各局の番組を同時にチェックできる
モニターが並んでいたといい、「常にお茶の間の人々の目
線を意識し、大切にしていた人だった」と振り返る。

昨年2月、井上さんと一緒にハワイでゴルフをした際には
「俺なんかじゃなく、(中村)勘三郎が生きるべきやった。
ただ、生きながらえたからには、まだまだ頑張る」
と話していたという。

一度失敗した人にチャンスを与え、励ましたことも、
たびたびあった。井上さんによると、タレント時代の
東国原英夫氏らの不祥事が発覚した後、番組に起用
したのもたかじんさんだった。第1次政権を終えた後の
安倍晋三首相を首相の地元・山口県の温泉に連れ出し、
励ましたというエピソードも耳にした。
井上さんは「自分が望むように生きたひとだった。
でも、そのためには多くの人の支持を得る必要があることを、
誰よりも知っていた。そのための努力を怠らなかったから、
みんなついていったのではないか」と話した。
(後藤洋平)