Sence of wonderな日々

Sence of wonderな日々

梅雨の晴れ間に強烈な陽射し。
朝の登園時に「おひさまがどなってるみたいだね!」と、5歳児の一言。
この感覚を忘れずに過ごしたい。

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介護入居施設が町中にも増え、サ高住、有料、老健、特養とあり、特養待ちのサ高住であったり、全てお任せの有料であったり、介護認定が要介護3以上でないと老健、特養は入居できないものだからわざと介護度を重く申告したりする身内もいます。

サ高住と有料の違いはこちら。
http://www.cocofump.co.jp/summary/compare.html

で、どこかしらの施設へ入居できたとしても、施設によっては劣悪な環境で、本来は要支援1程度の人がオムツで寝たきりにされて褥瘡が出来たり(褥瘡は介護士の責任)、食事も面倒だからと軟飯を全部混ぜこぜにして与えたりする。
介護士が逮捕される事件も目立つ。
家庭介護で限界があるのも分かるが、高齢者は自宅で最期を迎えたい人が多い。
要するに人手が足りないから専門家に頼るのではあるが、専門家も専門でない人もいるわけで、「介護位しか仕事がないや」と思っている人に介護されたいと思いますか?

そもそも介護がそんなに必要か?と考えないといけない時代になっていると思うのです。
8020運動は昔から言われていますが、自分の口から食事が摂れなくなったら終わりだと思うのです。
だから、口腔ケアは一番大事だし、オムツを外すのが介護だとも言われています。

長寿大国ニッポンと言われているのは無理やり生かされている高齢者を含めての数なので、本当に自力で身の回りのことをできる高齢者が果たしてどの位いるのか?
ADLが多少不自由になればデイケアやリハビリなどで対応できるが、寝たきり、胃ろう、廃用症候群、もっとひどくなると手足は拘縮して動かせず目だけは動く状態でただ生きているだけ(名前忘れました)、になります。
これこそ医療費の無駄ではありませんか?
本人は苦痛ではありませんか?

「欧米に寝たきり老人はいない」理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからです。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。

自然に任せる、ヒトはいつか死ぬ。
延命には反対です。
PPKが理想です。

PPKとは?
http://ikiiki-laboratory.com/ppk/

私の考え。
イライラ→自分の思い通りにならなくて相手にイラつくこと(子育て・介護等)
怒り→自分が不当な扱いを受けてこれは違う!と主張すること

イライラと怒りを勘違いしている場合も多々アリ。

で、調べてみました。
https://ameblo.jp/onocoroshinpei/entry-11972056380.html
ほら、やっぱり違う。

これはイライラと怒りを混同しているからダメね。
http://any-stress.com/archives/3999

イライラに関しての解説はこれが一番です。
https://kanawell.com/human-relations/frustrating-nonfrustrating/

私は基本的にイライラしません。
イライラが強い躁の絶頂では子供に当たり散らしていましたが適切な服薬で今は全くもって穏やかです。
娘が遅刻しようが、宿題をやらないで遊んでいようが、服選びから家を出るまで30分掛かろうが待ちます。
一応、その都度声掛けはしています。
ただし、命令口調ではなく、穏やかに促します。

11月から12月に立て続けにあった出来事に対しては、理路整然と意見を申し立てないと単にイライラで終わりずっと心の中でくすぶるのです。
娘に対しても我が家に対しても不当に扱った、納得がいかない、どういうことだ、どのような対策を取るのか?と資料を添付して学校へ意見書を出し、役所では私はこれだけ怒っている、という少々盛大なパフォーマンスも必要なのです。
役所の窓口で書類をビリビリに破いて紙吹雪を散らすのも他の職員にこの能無しはこれだけ怒られるミスをした、という事を知らせるためなのです。
当然他の職員はそんなミスはしませんから。

皆さん、怒ってはいけないと思っていませんか?

基本的な感情4つ。
http://thinkdr.jp/?p=728

私は怒りと不安だけは分からなくて、不安はつい最近まで分かりませんでした。
怒りは分かったので、不安に対しては、例えば遅刻をしない、忘れ物をしない、等で回避してきたのだと思います。
遅刻をしたらどうしよう?と思ったら遅刻をしなければいい。
忘れ物をしたらどうしよう?と思ったら前日に入念にチェックすればいい。
それだけのことです。
常に予防線を張って自分で対処できるようにしていたのが「不安を解消すること」であり、「不安」が分からないことが「不安」であったとも気付きました。


という事で、不安も解消され、怒りの表出方法も手順を踏み、正当な手段で相手に対峙する術も身につけました。
勿論、法に触れるようなことはしません。
逆に法に則って判断してもらいます。

質問状

 

 資料1、は「発達障害者支援法」です。
第三条の3、について、娘は秋にASDと診断され、現状、適切に学校で支援を受けているとは思えません。LDの可能性もありますが(1月13日に発達外来・児相へ再検査の予約をしました)、保護者の意思が尊重されるならば知的級に編入することは可能でしょうか?(FSIQ、発達障害名関係なく)数値を見るのではなく子供の現況を見て欲しいです。
第二十三条、「発達障害に関する専門的知識を有する人材を確保するよう努めると共に、発達障害に対する理解を深め、及び専門性を高めるため研修等必要な措置を講ずるものとする」に関して、特別支援学級担当者から通常級担当教諭へのOJTが実施されているのかどうか?
 資料2、は平成29年度の免許状更新講習の受講についての必修領域(6時間以上)の○○大学でのシラバスですが、その中で特に「子どもの発達に関する脳科学、心理学等における最新の知見(特別支援教育に関するものを含む。)」に関して、全教員の中で何人が受講して(過去の受講も含む)、受講後どのように思い、今後どのようにしたいか?を知りたいです。学年のみで匿名可。全教員の意識を知りたいです。
 資料3、は「特別支援教育を充実させるための教職員の専門性の向上等」ですが、資料2に関連して、いわゆるベテランと呼ばれている教員がどの程度最近の発達障害児の通常級在籍について理解を深めているかどうか?という事と併せて、もちろん担任一人が全てを担うのは難しいので通常級でも適切な支援員を配置するのが望ましいと考えております。今後、支援員の配置に関して通常級で可能であるかどうか?が知りたいです。(質問2つ)
 資料4、は「発達障害のある児童生徒などへの支援について」ですが、第二(1-1)は実施されていないように思われます。この辺りは実際どうなっているのでしょうか?
 資料5、は「特別支援教育の理念と基本的な考え方」ですが、娘は感受性が鋭いため、自分は他者とは違う、という事を7歳にして感じ取ってしまいました。それ故「死んだ方が良いよね?」という言葉に現れたのですが、「みんな一緒でみんないい」を求められて、「みんな違ってみんないい」は無いのです。この点で○○小学校では「普通」=みんな一緒、を求めているので娘の居場所が無くなりました。大阪市立大空小学校が理想ですが、この学校は2012年度の児童数・約220人のうち、特別支援の対象となる数は30人を超えていましたが(通常学級数6・特別支援学級7)、すべての子供たちが同じ教室で学びます。教職員は通常のルールに沿って加配されていますが、地域の住民や学生のボランティアだけでなく、保護者らの支援も積極的に受け入れた「地域に開かれた学校」として、多くの大人たちで見守れる体制を作っています。学校の理念は「すべての子供の学習権を保障する学校をつくる」であり、不登校はゼロ。唯一のルールとして“自分がされていやなことは人にしない 言わない”という「たったひとつの約束」があり、子供たちはこの約束を破ると“やり直す”ために、やり直しの部屋(校長室)へとやってきます。テレビ版「みんなの学校」の放送後には全国各地から、支援を必要とする子どもたちが数多く、校区内へと引っ越しています。ここまで行かなくとも支援員を充実させることによって解決できる問題は少なからずあると思っております。元々大阪では支援級というのが存在していなくて皆「通常級」であり、取り出しで別途補講を受ける、という方法で長年来ています。支援級があっても保護者の希望があれば教育委員会を通さずに保護者の一存で決めることができます。
 ○○小学校でも校区を超えて通っている子もいますが、大空小と比べたら根本的に違う気がします。現在○○小学校は小中一貫を進めていますが、それ以前に義務教育からこぼれた子はどうすれば良いのでしょうか?
 資料6、は「特別支援教育について」ですが、第二の3、「就学時に決定した学びの場は固定したものではなく、それぞれの児童・生徒の発達の程度、適応の状況等を勘案しながら、柔軟に転学できることを、全ての関係者の共通理解とすることが妥当であること」とはありますが、私としては転校したところで状況が変わるとも思えませんので、○○小学校で「合理的配慮」がなされればそのまま在籍したいとは考えております。先に述べた通り、通常級でしたら支援員の配置、支援級でしたら知的級への編入が可能かどうか知りたいです。(数値だけで見るのは反対です)
 資料7、は「学習障害(LD)、注意欠陥/多動性障害(ADHD)及び高機能自閉症について」ですが、娘は少なくとも学習障害(LD)に当てはまると思っておりますので、教員側の「頑張ればなんとかなる!」「やればできる!」ではなく、本人は今が一杯一杯で悲鳴を上げている状態なのです。その結果、どんどん自信を無くし、自己否定感も強くなり、「自分はバカだ、何も出来ない、死んだ方がいいよね」に繋がるのです。特に発達障害児に対しては「成功体験を積ませる」「否定しない」が重要であり、少しでも出来たら褒めて欲しいのです。これは定型の子でも当てはまりますが、子供は褒められると素直に喜びます。もちろん悪いことをしたら叱るのは当然ですが、勉強が出来ないからといって叱る必要があるのでしょうか?死にたい思いをしてまで毎日学校へ行く必要があるのでしょうか?叱ったつもりはなくとも、口調が強かったり声が大きかったりすると本人は「叱られてる」と思い、いじめと同じ構造です。通常級の子には「みんな同じ」を求めているのでしょうか?
 資料8、は「学習障害児について(報告)」ですが、娘の特徴をよく現わしているものだと言えます。専門家の判断は1月中に行う予定ですが、「知的に遅れがない」というのが重要なところです。娘は言語理解のIQが突出していて大人の話も単語の意味さえ分かれば難なく理解できます。ただ、凸凹差が激しいので一時記憶が難しく、授業中に考えている間に周囲はどんどん進んでしまい、結局授業についていけなくなり、宿題も分からず、取り残されている状態です。学校で疲れ果てるため、デイサービスで少し宿題を教えてもらい、17:30に帰宅後は少し夕飯を食べて19:00には寝る生活です。お風呂も週末に入る程度です。実際の学習障害児に対してはどのような対策を取っているのでしょうか?
 娘がデイサービスに通っている理由は、兄も通っていたこともあり、楽しそうだから私も行きたい、ならちゃんと学校に行ってから行こうね、という約束でしたが、現状をデイサービスの責任者にも話し、今後の対応を考えている所です。現在デイサービスには午後から通っています。
 資料9、は「特別支援教育について、都道府県、大学の研究室と連携した学生ボランティアの活用例」ですが、山形市立第五小学校では、学生、教員双方に効果があったと報告されています。○○小学校も支援員配置が難しいのであれば○○大学教育学部と連携してボランティアを活用してはどうか?
 資料10、は「共生社会の形成へ向けて」ですが、多様で柔軟な仕組みを整備することが重要である、とあり、現在の情緒学級ではあくまで中学卒業時に通常級の子達と同じ立ち位置にいることが目標であり、死にたい思いをしてまで「普通」を目指すことは必要ないと思っております。TPOに合わせた最低限の挨拶と新聞が読める程度の漢字知識とお金の計算が出来れば生きていけると思っております。その基準は小学校4年生相当の学力と言われていますので、本人のペースでそこまで学べれば充分だと考えています。目標は高校入学ではなく、生きる力をどう付けるかであり、自ら問題を見つけた時に解決する能力、他者にヘルプを出せるかどうかが重要であり、平仮名のトメ、ハネ、ハライ、などどうでもよく、平仮名として読めれば良いのです。計算も電卓があればできます。高校は睡眠障害もあるので通信制に既に決めていますが、その前に義務教育期間にどれだけ心に残る教員に出会えたか?が重要であり、傷も良い思い出も深く残ります。どちらかというと傷の方が大きく残ると思われます。どうか貴重な6年間を無駄にしないように子に応じた指導を切にお願いいたします。

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 資料については全て文部科学省のHPから引っ張ってきて、連携大学に問い合わせをしてシラバスを入手し、資料自体60ページ以上になりましたが、資料1~10までを添付して学校全体としてどう考えているのか、文書で回答が得られるまでは登校しませんよ、と伝えています。

 

 知能テストをして平均値だから普通と言っても皆が普通にできるわけではないのですよ。

凸凹差が40もあると得手不得手がハッキリと出ますし、口頭でのやり取りは完璧でも「じゃあ、書いてみて」「これ計算してみて」と言われると固まってしまうのです。

授業で1~10までを教わっても2.5で引っかかったり、3.5でつまずくと、もうその先は分かりません。

授業も訳わからないし、宿題も当然分からないし、疲れるだけで帰宅したら一刻も早く寝ることに集中するので、理解できている所で止まってしまっているのです。

疲れた頭を回復させるのに15時間睡眠が必要で、当然朝は起きられず、早くても10時登校、ひどい時は「帰りの会」に滑り込んで学校滞在時間10分なんて時もありました。

その後は放デイへ行くのですが、もう目的は放デイになっています。

 

 自分が7歳の時はどうであったか?を考えると雲泥の差です。

私は超鈍感で痛い思いをしないと分からないタイプで痛めつけられてやっと気付いて這い上がる力を身につけてきたので、NO!と言える力、やられたらやり返す、を学んできました。(痛めつけられてむしろ感謝)

それに比べて娘は周囲の空気を敏感に察知し、自分の置かれた状況を認識してしまいます。

 

 「死にたい」は一つのサインです。

あまり自分の気持ちを現わす子ではありませんが、11月から登校を渋るようになったので聞いた理由が「遅刻するしバカだから死んだ方がいいよね?」「ママはこんな子産んじゃって、あーあ、と思っているでしょ?」と言うのでここで怒りが爆発しました。

7歳で「死にたい」と思いますか?

「死んだ方がいいよね」と思わせる教育とは何ですか?

放っておいたら自殺をしかねません。

若年層の自殺も増えています。

それは周囲の理解が得られないからでしょう。

非常に気の毒です。

学校、家庭、その他に居場所はないのでしょうか?

まずは家庭での居場所づくり、引きこもりも良くないので家庭以外で社会的接点を持てる場所を確保することも必要です。

どうか、小さなサインに気づいてあげてください。

 支援が必要な娘に対して面談もし、支援級希望も出し、通常級の今の担任も交えて今後について話し合ったにも係わらず、不適切な支援のため、生きる自信を無くした娘。

「もう学校へは行かなくていい」と12月半ばから休ませています。

そこで、学校全体で考えてください、と膨大な資料と共に意見書と質問状を学校へ出しました。

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〇〇市立○○小学校 校長 〇〇〇〇 殿
前略
平素は大変お世話になっております。
 この度、1年〇組在籍の〇〇〇〇が担任の不適切な対応により、心身に支障をきたし、登校できない状態になりました。
娘の連絡ノートにも書きましたが、「発達障害(ASD)であること、睡眠障害で朝起きるのが難しいこと、授業のスピードに付いていけないこと」については支援級主任も含めた面談で既知のことであり、また本人も非常に悩んでおり、それに加えて、昼休み、放課後に課題を出されて、出来ないと叱られるのが嫌だ、と言い、「全部私が悪いんだよね、普通になりたい、私はバカだし遅刻もするし死んだ方がいいよね?」とまで言いました。私はこの言葉を聞いた時にショックと怒りを覚え、7歳の子が「死にたい」と思う教育とは何なのだろうか?と思いました。「もう学校は行かなくていい」と言い、感受性が強い娘は周囲との違いを咄嗟に感じ取り、現在葛藤しています。
 教員側は「頑張れば出来るよ」と言いますが、学校で頑張りすぎるから疲れてしまうのです。確かにクラス発表は堂々として物怖じしないし、劇に立候補したり、徒競走で1番だったりと頑張っては来ました。しかし、今は入学時ほどのワクワク感はないと言います。
 また、「発達障害は治るの?」と聞かれ「治らないけど慣れるよ」と「私も兄も発達障害だし、それぞれ特徴は違うけど出来ないものは仕方がないし、出来ることもいっぱいあるでしょう?」とは言いましたが娘の心には届いていないようです。
 インテグレーションという言葉や考え方は、幼稚園や小学校、中学校へと浸透していきました。そして、最近ではinclusion<インクルージョン>という言葉に変わりつつあります。包み込む・包括といった意味ですが、その意味の違いとは何なのでしょうか?
         「統合」と「包括」の違い
 そもそも統合教育が始める前、特別支援学校と健常児の学校は別々に教育がなされていました。1979年に学校教育法で養護学校の設置が義務化され、その頃から訪問教育制度が始まり、少しづつ2つの教育現場が近づきました。そして、最近ではインテグレーションやインクルーシブ(インクルージョン)と言われるようになりました。
 この2つの違いは、健常児と障害児とハッキリと区別した上で、できる限り同じ場所、同じ時間で活動や教育を行っていくというものです。小学校や中学校での特別支援学級もその1つの方法でしょう。そして、インテグレートは障害のあるなしに関わらず、一人ひとりの教育的ニーズに沿った活動や教育を行っていくものです。小学校でよく見られる通級教室もインテグレートの考え方を取り入れたものと思います。インテグレートの大切なところは、「障害のあるなしに関わらず」というものです。
 よく「障害の連続性」という言葉も一緒に聞くことがあります。
これは昔のように「健常」と「障害」を黒と白のようにハッキリ分けるものではなく広汎性発達障害などのように、障害も多種多様にみられ、色のグラデーションのようにどこからが黒で、どこまでが白で、ここが赤なのか、というように区別が難しい、切れ目がない状態をさして「連続性」と言われます。それならば全てを色を包み込むようにし、その色に合った教育や活動を促すようにしようとする考えがインクルーシブになります。
 果たしてこのインクルージブが〇〇小学校にあるのかどうか?これが第一の疑問になりました。通常級、支援級(自閉・情緒学級)は「普通」を求めています。それ故、息子の〇〇(ADHD)は情緒級をドロップアウトし、3年進級と共に今年4月から施設へ行くことになりました。面会に行くと「あの時は地獄監獄だった、今の学校はすごく楽しい」と言っています。(〇〇県〇〇市〇〇町立〇〇小学校〇〇分校)
 個に応じた授業であるかどうか、〇〇小学校では「みんな一緒でみんないい」を求めており、「みんな違ってみんないい」は認められていない気がしました。今のままでは娘の居場所がありません。情緒級へ移ったとしても同じかそれ以下になることは容易に想像できます。1月11日以降に支援級の判定結果が出るそうですが、支援級(情緒クラス)へ移ってもあまり変わらない気がします。むしろ厳しくなるのではないかと危惧しております。
 教員の皆さまならご存知かと思いますが、改めて別紙の資料1~10と共にいくつか疑問点がございますので文書での回答をお願いいたします。
 また、回答が得られるまでは登校を控えさせていただきますので、一度学校全体としての意見を伺いたいです。
 お忙しい中恐縮ではございますが、回答は1月中にお願いいたします。
草々
 

平成29年12月19日
                          1年〇組〇〇〇〇
                          保護者 〇〇〇〇