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『~鏡花水月 ~』

鏡に映る花の如くに美しく

みなもの月の如くに脆く儚く

この世は幻 森羅万象は夢の中

我は心のままに詩を詠み続け

毎読芳恩!!

こんにちは、「鏡花水月」 の紫雨(むらさめ)でございます。
ご訪問、ペタ、ありがとうございます。

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ムソルグスキーの人生

ブログタイトル 「モデスト・ムソルグスキー(1839~1881)」
ロシアの作曲家である

最も有名な代表作に「展覧会の絵」がある

作曲家としては 私の中では
独特な印象があるのは確かである
肖像画の多くは眼光強いものもあるが
死の前の荒れた時代のものが多かったりする

子供のころから親よりピアノを教えてもらっていたとはいえ
オーソドックスな音楽教育を受けた生粋の音楽家というわけでもなく
どちらか言うと「独学」で作曲をしていた音楽家であったというところだろうか

地主の裕福な家庭に生まれながらも 夢だった軍人になるために
陸軍士官学校に入学し 軍人の道に進んでいるのである

そんな軍人生活の中で 後に「ロシア5人組」と呼ばれる
ロシア民族作曲家集団の一員と知り合い
5人組の1人に数えられるようになった

音楽家を目指すため除隊するが 実家も没落し
金銭的にも厳しくなり 役人をしながら音楽家として
5人組の中で活躍した

ブログタイトル しかし母親の他界の後 
軍人時代に覚えたともいわれるアルコールが
彼の生活を狂わせはじめた
アルコール中毒の症状が酷く出るようになる

さらに友人の他界などにより 
生活はさらに荒れはて
役人としての立場も追われるようになった



そして曲の指揮の途中に心臓発作で倒れ 他界した
音楽の基礎教育を受けていない彼にとって
ロシア5人組として存在するとことの居心地はどうだったのだろうか


魑魅魍魎の跋扈する夏至聖ヨハネ祭の前夜

この「禿山の一夜」もすんなりと世に出てきた曲ではなかった

この曲のもとになっているのは 
ゴーゴリの戯曲「聖ヨハネ祭の夜の禿山」であるという

ブログタイトル ロシアに民話に

「聖ヨハネ祭の前夜の禿山に地霊の死神あらわれ
手下の魔物・亡霊・精霊たちと跋扈大騒ぎをする
やがて夜明けとともにどこへともなく消えていった」

というのがあり それをもとに 音楽化されている

「禿山の聖ヨハネ祭の夜」と題して作曲された
ムソルグスキー自身は気に入っていた様子であったそうだが

ロシア5人組の幾人かに 酷い批判を受け
発表のための指揮をお願いするも 拒否され
結局発表されずじまいで終わってしまったのだ

その後2度ほど この曲に本人が手を加えて発表の機会を
伺っていたようであるが 共に未完に終わり 彼はこの世を去っていった

音楽理論のしっかり植えつけられた専門音楽家の目には
ムソルグスキーのオーケストラの使い方は乱暴で荒削りに感じられ
理解の範疇を超えていたのだろうと思われている

ブログタイトル しかし 彼の才能を埋もれさせたくないと
考えていたロシア5人組の一人
「リムスキー=コルサコフ」は 
ムソルグスキーの死後
最初に作られた「原典版」に合わせ
後にムソルグスキー自身により
手を加えられた編曲の要素も付け加え

さらに オーケストラの使い方を大きく洗練された形に編曲し直し
リムスキー=コルサコフ版「禿山の一夜」としてこの曲を世に出した

最初に作られてから20年 ムソルグスキーの死後5年の月日が経っていた
一般的によく聞く「禿山の一夜」はリムスキー=コルサコフ版のものが多く
曲の終焉は魔物たちの消え去る静かな終わりが洗練され表現されている

ムソルグスキー自身の原典版は時代と共に
荒削りでも 臨場感のある雰囲気が興味を惹き
演奏される機会も増えてきているという

なおムソルグスキー原典版の終焉は魔物が去って静かになるどころか
騒ぎっぱなしの状態で終焉している

それでは 編曲版「禿山の一夜」と
ディズニー映画ファンタジアでの「禿山の一夜」
ファンタジアでのアニメーションシーンと共に聞いていこう


・ムソルグスキー「禿山の一夜」



・ファンタジアより「禿山の一夜」1/2



・ファンタジアより「禿山の一夜」2/2



「最後まで読んで頂き感謝 心よりの感謝を込めて・・・
 迷える子羊に 神のご加護があらんことを・・・ 」 合掌




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