こんにちは、「鏡花水月」 の紫雨(むらさめ)でございます。
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~ これは伝説である!
私の妄想の産物から派生して生まれた異世界への扉。
扉へ手を伸ばし異世界の壮大な物語へと旅立とう ~
様々な音楽に影響を受けていたたラベル
作曲家ラベルと聞くと 「ボレロ」を思い浮かべる
変わった感じのする名曲である
官能的に同じメロディが繰り返され
緩やかにクレッシェンドして延々と続くのではと思うような曲だ
フランスの作曲家「モーリス・ラベル」は音楽の歴史の中でも
特に重要な時期に存在していた
時代の流れの中で新しいものが生まれるように
音楽も時代の流れとともにその姿を変えてきた
斬新な音楽が現れるとそれにとって変わっていった
音楽形式をもとに音を載せた建築音楽の時代から
さらに形式の上に旋律に主観・感情を載せる音楽に進み
さらにフランスの音楽家などにより 新しい音楽手法への挑戦により
主観から客観へ空間や雰囲気を調性感をぼかし描いたような
ピアノ手法「印象主義音楽」と呼ばれるジャンルへと進んだ
ラベルはそんな主観から客観への移り変わりの時代に存在し
新しい音楽手法への先駆け的存在としての役割を果たしたという
若き頃より音楽教育を受けていたラベルはパリ音楽院に在籍していた
何度も何度もローマ大賞に応募しており
そのころには 今では人気のある曲
「亡き王女のためのパヴァ―ヌ」や「水の戯れ」など
高い評価を受ける作品を発表していた
だがなかなか入選することはなく 時に予選落ちというのもあったという
入選しない状況が続くことが問題となり「ラベル事件」と呼ばれる騒動が起き
パリ音楽院の院長が辞職に追い込められる事態にもなったという
その後の院長は ラベルの師フォーレが務め学院の改革に乗り出したという
ピアノではショパンを敬愛し リストのテクニックに憧れをもち
それは彼の音楽にも影響を与えている
もっとも敬愛していたのはモーツァルトであったという
彼の得意のするところはオーケストレーションであり
音楽は緻密に構成され完成度も高く
小さな曲を作るにも何度も修正しながら時間をかけて作曲していたという
そんな彼を人々はこう呼んだのだ・「オーケストレーションの天才」
・「管弦楽の魔術師」
・「スイスの時計職人」(精密な音楽への例え)
1つの曲を丁寧に時間をかけて作り
その才能を発揮して作曲をしていった
そんな優れた音楽家でもあったが
人生の後半では脳障害の症状に悩まされになったという
そのすぐ後 タクシーに乗っている時の交通事故で頭部に損傷をうけ
さらに症状は激しくなり精神錯乱のような症状も出ることもあり
手術を受けるが そのまま昏睡状態意識不明のままこの世を去ったという
リストのピアノ曲から生まれた「水の戯れ」
フランツ・リストのピアノの演奏技術に憧れを持っていたラベルは
1901年 ラベル26歳の時に「水の戯れ」という曲を作曲した
そして翌年「亡き王女のためのパヴァ―ヌ」とともにリサイタルで発表された
フランス語で「Jeux d'eau」 噴水という意味の題が付けられている
リストの作った「エステ荘の噴水」を意識して作曲されたとも言われている
この曲は水に対する描写をした表現音楽のため人間的な感情のメロディーはほとんど見当たらない
「水の動き」 「光が当たり輝く様子」
「映し出される色彩」などを
ピアノの音で見事に表現してものとして評価も高い
曲の発表時 同時に演奏された「亡き王女のためのパヴァ―ヌ」に比べ
「水の戯れ」は印象派的音楽で見られるような不思議な和声などが斬新でもあり
当時の人々の耳には新しく聞こえ 不協和音とも聞こえる和声を多用したように聞こえ
「水の戯れ」に対する評価はさほど高くなかったという
しかしこれがその後 フランスの作曲家による印象派音楽が
新たに発生して流行していき
この曲がドビュッシーなど中心にした
フランス印象派音楽の先駆けになったのは
大変に興味深く重要であるという
当時はフランス印象派風音楽を先に作ったのは
ドビュッシーだったのか13歳年下のラベルだったのか
2人をめぐって論争になったりもしたという
しかしラベルを印象派の音楽家として分類するか
それ以外の印象派風の音楽家とするかは
その人の音楽観などによりそれぞれであるといわれている
それでは 一緒に公開されたという
ラベル作曲 「水の戯れ」と
ピアノ版「亡き王女のパヴァ―ヌ」
ピアノ辻井伸行で聞いていきましょう
・ラベル 「水の戯れ Jeux d'eau」
・ラベル ピアノ用「亡き王女のためのパヴァ―ヌ」



