こんにちは、Legend Art Museum の佐藤でございます。
ご訪問、ペタ、読者登録、ありがとうございます。
先日 朝の報道番組で こんな報道を目にしたのである
ある雑誌記事で注目すべき記事として 取り上げられたものであった
検索漬け、紹介されていた事例
ある35歳のIT企業の男性は 日常生活の中である事に気づいて
それが悩みの元になっているという。
それは 記憶力の低下であった。
最近 漢字や英単語が思い出せない事が特に多い事に気づいてしまったのだ
彼は この記憶力低下の背景にインターネットが関係しているのではないかと
考えるようになったのである
分からない事、言葉をすぐにインターネット検索する
検索漬けの習慣 がその原因ではないだろうかと・・
出版社勤務30代女性は内容を覚えなくても後でネットで調べればいいと思ってしまい、
その結果として小難しい本が最後まで読めなくなったという。
アメリカのコロンビア大学での実験では、
後でネットで確認できると知らされた人間は
記憶力が悪くなるという結果が出ており
人間の脳は後で教えてもらえる事柄は記憶しないという。
またある男子大学生は1日15時間ネットをする生活をしている、
自ら記憶力が悪くなったことを自覚していた。
そこで1ヶ月の旅に出てネット断食を行ったという。
その結果、自分の頭で考えて判断でき、
思考力を取り戻せた気になった・・そうである。
コメンテーターの見解
大学生の事例を取り上げて
ライブドア創業者にして アップル日本法人前代表であった ある実業家の方は
大学生が立派なのは、自覚症状があったことと
自分で対処しようと考え実行したこと と述べ行動に対して 評価を示した
そして グーグルバカではなくて
グーグルスマートにならなければいけないという。
分からないことをすぐにネットで調べてしまうと、
自分で考えることをしなくなってしまい
そこで得た情報で自分は何を生み出すか、思考することが大事である
といった旨の考えを述べていた
経歴から考えると いろいろと思う事もたくさんあるんでしょうね
そしてもう一人のコメンテーターである サイエンス作家の方は
ネットを脳の延長と考えれば、検索エンジンを
フル活用するのも現代の知恵 との見解を示した
そういう私も
コメンテーター陣も さすがに ネット断食については
これ勘弁 という感じであったが
生活の中に定着したと言ってもいい インターネット
ネット社会はどんどん進化の一途を辿っている感もある
私も考えれば 漢字 一つをとっても
パソコンはキーボードで スマホ・タブレットは手書き・音声入力。
手書き入力をしていると 以外に基礎教育レベルの漢字すら
どんな漢字だったかなと思う事が多かったりする。
ただの年寄りになったというのもあるが
文字を実際に書く機会やアナログ的に知らべたりする事が減った上
機械の変換機能で簡単に入力できてしまうので
漢字力も多少は影響を受けているなとは想わされたりする。
以前 「インターネット依存症」とか言われ
いろいろと生活・精神に異常の出る状況に対して
この名称が使われた事があったのを思い出すが
現代のように インターネットが生活の中に根付いたともいえるネット社会では
症候群とまではいかなくても
「プチネット依存症」の人達は多いのではないだろうか
また我々は過去 犯罪・問題情報の流出などのトラブルも数多く見てきている
しかし こうしたマイナス面もあるが
ネットの進化は 劇的にいろいろな事を知るのに役立っている
インターネットの普及する前はといえば
いろいろなお店を探すのも 分からない事に対して情報を集めるにも
アナログ的に 本屋へ出かけたり 電話帳を調べたり
またその多くは情報収集不可能というのが現実だったのを思い出したりして
便利な時代になったものだと思されるのである。
若い世代は すでにネット社会で生まれて
アナログ的に情報を収集するという事は
想像もできないとは思うのだが 幸か不幸かいい時代に誕生しましたものです。
確かに ネットは使わなかったり ネットとアナログを上手く使い分けている
人達もたくさんいますが・・
人類の進化段階でも
人類の進化の段階でも こうした事は見る事ができるような気がします
古い話であるが アフリカのギニア出身のタレントで
オスマン・サンコン氏という方がいたのであるが というか いますが
彼のギニアでの視力は6.0 この6.0でも国では近眼の部類に入るというから驚きである
日本では2.0だとかなり視力いいね と言われたりする
そんなサンコン氏であるが 日本で活動するようになり 視力は落ち続け
今では 0.~まで落ちているという。
日本人向けの視力になったわけである。
狩猟民族にとって 広大な草原を見続け
遥か彼方の獲物を見逃さないようにする能力であるところの
視力・聴力・臭覚・直観など鈍らせる事が死活問題ものなりかけない
必要な能力であったわけであったのであろう
現代でも置かれた環境によって
人それぞれに秀でた能力に違いが出ているのかもしれないと容易に想像できる
それを 活かせる環境・志事で活躍できるといいとは思うのだが・・・
人類誕生以来 生活を便利にするためのツールを使い始めた瞬間から 同時に
多くのものを得ながら 失い続けているのかもしれない・・・・
「最後まで読んで頂き感謝 合掌」 佐藤英彦

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