すごく長くなってしまったので、できればスルーしてもらったほうがいいかな、と思います。

ひとりごとだと思ってください。

なんか、長年のたまってたものを、吐き出してしまいました💦

…前にも同じようなことを、アメーバ限定で書いたかも。



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

私は先天性の変形性股関節炎で、30才のときに医者から
「40才になったら、手術しないと歩けなくなる」
と言われました。

その頃すでに、
「歩くのは3時間まで、座り仕事は5時間までにしなさい」
とも言われました。

なんの仕事をしても、足が痛くなって、結局続かなかった。
(ほかにもいろんな理由や原因はあるけど、足が痛くなければ、もうちょっと頑張れたかもしれないということは、たびたびあった)


中学校の頃から、学校の帰りはびっこを引いてたし、授業中ずっと座ってるのも、痛くて辛かった。


暗い話になるけど、高校の頃手術の話が出て、でも、
「手術が失敗してびっこになるかもしれない」
と言われて手術はやめになった。

母に、
「嫁の貰い手がなくなるから、足のことは誰にも言っちゃだめよ。」
と言われて、友達にも痛いのを言えなかったし、体育を休む理由も言えなくて、クラスメイトに、
「月経のせいで休んでるんじゃないか?」
とからかわれました。


大学の頃は、楽器もやってたから、無理しすぎて左手を痛めて、左半身全部、痛くて、夜、眠れなくて、泣きながら
「左半分もぎとって捨てたい」
と思っていた。


私が左ばかり痛がるので、友達から怪しい宗教にさそわれたこともある。…宗教にトラウマがあるので、すぐ脱退したけど💦

三年弱、小学校の講師をしていたが、その頃は睡眠不足でよけいに足が痛くて、生理のときはなおさらひどくて、教壇に立つのも痛みをこらえながらやっとで、階段の上り下りが辛くて、痛み止も効かなくて保健室のお世話になったこともある。


30才の頃、あるバイトで、パソコン教室のお手伝いをして机の周りを歩いていたときに、いつもの左足の股関節が痛くて、歩くのが難しくなって、ズボンのポケットに手を入れて、ポケットの上から股関節を手でぎゅっと押さえつけて、なんとか支えて歩いていた。

そしたら、その様子を見た同僚から、
「ズボンのポケットに手を突っ込んで人を指導するなんて、なってない。」
と、怒られた。
…そりゃ、はたからみたら、そうだろう。私は痛いことだけで頭がいっぱいで、そこまで気が回らなかったけど。

けど、怒られても、
「足が痛くて手で支えていた」
とは言えなかった。…なんか、ずっと、足のことを言い訳にしちゃいけないと思ってた。


高校の頃は、母にすすめられた針の先生のところに行ってて、今で言えば「セクハラなのかな?」と思われるようなところを(股関節なので、微妙;)触られて、いやだったけど、自分ではそのことを誰にも言えなくて、行くのをやめるまで何ヵ月もがまんしていた。


中学校の頃、うちに健康器具を売りにきた親の知り合いがいて、その人が私の足を調べて、
「右足のほうが左足より何センチか短い」
と言われた。たぶんいつも、右足で体を支えてたから、短くなったんだと思う。

今では、右足がぶっとくなっていて、左足は筋肉がなくて右足より細い。

バスケットボールの授業では、右足だけで支えていられるから、ほかのスポーツよりはマシだったのを覚えている…運動音痴だから戦力外だけど。



…こんな私だったけど、

息子が生まれてから、息子を追いかけ回して、どんどん足が強くなったような気がした。
痛いのも我慢してひょこひょこ歩いてたんだけど、たぶん筋肉がついて、昔よりよくなって、沢山歩けるようになったのかな。


息子が一年のときは、付き添いで一緒に空手をやっていた。痛かったけど、柔軟とかもあるし、少し左足だけで立てるようになって、嬉しかった。


だんだん仕事で足が痛くて空手に行く余裕がなくなってきて、子供も、空手以外にやりたいことがあって、あまり行かなくなってたときに、ちょうど首を痛めて、やめちゃったけど。



昨年、線維筋痛症になる前は、一時間以上でも歩きました。…いや、線維筋痛症でも、診断が下りるまでは、「痛い痛い」言いながら、足を引きずって歩いてたんだけど。


中学校の頃から右足に頼っているので、右足がすごい強くなって、筋肉もついているからだと思います。

右足のほうが太いし、右足なら1分もたっていられます。左足は10秒もやっとだけど。

ただ、線維筋痛症が今よりずっとひどかったときは、股関節炎の痛みがたいしたことないように思えた。というか、線維筋痛症のほうが痛すぎて、股関節の痛いのも忘れていたという感じ。

線維筋痛症がおさまってくると、股関節炎の痛みを思い出してくる、という感じかな。

変形性股関節炎の痛みは、鈍い痛み。鈍くてずっと続く痛み。

線維筋痛症のは、もっと鋭くて強くて、びっくりする痛み。もちろん鈍い痛みが続く箇所もあるけど。


長年股関節炎の痛みと共に生きてきて、たぶん自分では、痛みに鈍くなっていると思っているのたけど、ほかに、小2の頃から頭痛持ちだったり、過敏性腸症候群だったり、子宮内膜症で痛くて救急車も呼んだこともあるけど💦


そんな私が、線維筋痛症の痛みは『別レベル』別の時限だと、息子に言っていた。


本当に、生きる気を萎えさせるような痛み。

今は本当に、軽くなってよかったと思う。


今年の2月、線維筋痛症の除外検査のためにあちこちのレントゲンやMRIを撮ってもらったとき、
「もしかしてヘルニアか股関節が手術になるかもしれない。そうなったら息子のことが心配。だけど、手術して(今の技術は進歩しているだろうから)痛みがなくなるなら、普通に働けるようになるかも?」
と内心思ったりもしていた。

だけど、手術が必要な箇所はなかったし、「焦って手術しても、いいことないですよ」
と言われた。

また、先生には、
「100%痛みをなくすことはできないので、50%を、耐えられる程度の痛みを目指しましょう」
と言ってもらって、
「今の50%になるのなら…」
と、ちょっと安心した。


今は線維筋痛症の強い発作がなくても、
脛椎症で右肩・右腕・右手がだいたい痛いし、
ここのとこ、顎関節症が悪くなって、左の歯や顎が痛い。
左は肩甲骨から下は足の先までいつも痛みがこびりついている。たいていは鈍い痛み。
たまに、左の膝変形性関節症で、左膝がずきっとする。

…軽い線維筋痛症がずっと続いているという感じなのかな?



こんなにあちこち痛くても、医大の整形の先生には、「神経までまだ余裕がある」とか、「軽い方」だと言われた。

そして、全身あちこちの痛みの原因は、ヘルニアや脛椎症や変形性膝関節症・変形性股関節炎とは別のものだということで、除外されて、
"線維筋痛症"だということになった。


まあ、初日に、今までの経緯や症状について紙に書いて持って行ってたので、
「もう、ロキソニンじゃあ、効かないでしょう?」
「そうなんです💦」
ということで、その場でサインバルタを処方されて、助かった。

「次の診察日まで2週間も痛みに耐えられない!」
と思っていたから。ほんとに何ヵ月も、どこの整形に行けばいいのか悩みに悩んで、勇気を出してメンタル科の先生に紹介状を書いてもらって、やっと医大の整形でみてもらえて、そのときはもう、「これ以上がまんしたくない」という状態だった。

昔は、一時でもいいから、左の股関節もどこも痛くない状態を味わってみたいと思っていた。


…結局、私の人生では、『痛みというものを全く感じたことがない』という瞬間は、なかった。(生まれたときに髄膜瘤という良性の腫瘍があったので、二歳で頭の手術をした。小学校のとき頭が痛いのはその手術の後遺症ではないかと心配され、何度も脳波を検査した)


だけど、今は、線維筋痛症の痛みが軽くなったなら、まだマシだと思える。


それだけ辛い痛みだとわかっているから、今でもなお、薬が効かなくて痛みで苦しんでいる線維筋痛症の方々は、本当に大変な思いをされているのだろうと思うと、なんといっていいのか…せつないというか、、何を言ってもひとごとになってしまうのだろうとは思うが、少しでも薬が効いて痛みが軽くなる人が増えたらいいなと思う。

時々思うけど、昔の人は、薬もなくて、本当に大変だったろうな…。

薬があっても効かない人は、それと同じことか、、(>_<)


線維筋痛症だとわかって、息子や息子の先生に、堂々と『線維筋痛症』だと言えるようになってから、以前よりは活動をセーブしている。

でも、きのうは、息子が
「歩きたい」
と言うし、久しぶりに遠出したから、頑張って付き合ってしまった。

だけど、杖があったから、歩けたと思う。

左足が普段から痛くて右足がかばってるけど、その右足のほうも無理しすぎて痛くなったら、歩けなくなってしまう。

もともと頑張れる右足だから、私は杖で左足をかばったら、杖と右足で歩けてるのかもしれない。

そこは神様に感謝しないといけないのかもしれない。


…長く長くなってしまいました💦