こんなこと書いたら、やなやつと思われるだろうけど、だから今まで話せなかったわけで、、、なので、書きます。

母は、なんか勉強はできたらしく、また戦後の混乱期で、もぐりこんだとかで、わりといい教育大学を出た。
それも、3年になって、気づくと周りの女子がほとんど進学を決めてたので、自分は就職でもどっちでもよかったんだけど、みんなに合わせて決めた、とか。

で、6年、小学校の先生をしたんだけど、父が仕事をやめて家事をしろと言うので、やめたらしい。

ちなみに私が2歳頃までは働いてたので、出産後2ヵ月で、職場復帰したそうだ。

乳は出なくて、最初からミルクだったらしい。

小学校に勤めているときほ、父に、
「家でまで、オレに先生ぶるつもりか!」
と怒鳴られていたようだ。
また、家でテストの採点を、私が泣いてるのを放ってやっていたので、父に
「○○子(私)を泣き止ませろ!」
と、怒鳴られていたらしい。

それで、教職を去ってしびらくは、そのエネルギーを、私を教育することに向けていた、と思う。

私が幼稚園の頃は教育ママだった。
小学校のときも、誕生日プレゼントは、ずっと本だった。しかも、私の苦手な、しんみりした気持ちになる本だ。

母は、幼い頃、母と妹を亡くしていて、それをいつまでも愚痴のネタにしていた。義母にかわいがられなかったとか、家事をさせてもらえなかったとか。

そのせいで、家事ができず、父に、アホだマヌケだと、子供の前でバカにされ続け、そのせいで子供が自分の言うことを聞かなくなったと思い込んでいる。

そして、大学出ても、仕事をやめて普通に主婦になって、しかも家事が下手だったので、私にいつも、
「女の子は、勉強ができても、全然いいことなんてないのよ」
と、言っていた。いや、妹を慰めるために、私の前でそう言っていたんだ。

母は、すごく自尊心が低い一方で、へんなプライドをもってて、意固地なところがある。

前は、父がアスペタイプで、母はADHDかと思ってたが、最近、母のほうがアスペなんじゃないかとも思ったりする。

私はけっこう、母に似ている。
いつも、お母さんと似ておっちょこちょいだと、家族みんなから言われた。

そんな自分がいやだった。

私は父が好きで尊敬してたし、父のプラモデル作りに付き合ったりして、女の子らしくなかったし、小学校のときは、男の子に生まれればよかったと思った。
アクセサリーをつけるのに嫌悪感を感じるようになった。

私は、愛着障害があるのではないかと思っているが、母も同じく、愛着障害だったのだろう。
子育ての仕方に自信がなく、よく、私に相談してきた。

私の育てかたを私に聞いて、どすんだよ!と、思った。

母は、高学歴にも関わらず、自尊心のとても低い人だ。

私も、自尊心が低いと思うが、昔からそうではなかったようにも思う。
孤独をやり過ごす方法も自分で見つけたし、芸術家タイプだから変でいいんだと、中学の頃は自分に言い聞かせていた。

今も、塾に通わせておられる親御さんがおられるが、私にはそれが、理解できない。

塾のバイトをしていたとき、そもそも、ピアノのレッスンとかけもちで、深夜のガストとかともかけもちしてて、すでにやばくなってて、塾に行くたびに、橋から飛び降りたくなっていたんだけど、とにかく、一年は頑張った。途中でやめちゃいけないと思ってたし、自分が必要とされてると思ってたから(事実、小学生らには受けてたんです。講師時代に学級崩壊させた経験から、色々これでもまなんだので、、、)…

でも、一年たって、結局やめた。
そのときは、もう限界、と思い、突然やめた。
毎回塾に行くたびに(主に中学3年のしんとした受験前の教室で)、
「この子らにとって、こんなに勉強して、何になるんだろう?」
って毎回思って、、、

個人授業をしてた子で、歌手になりたいんだと言いながら、塾に通ってくれた子がいた。また、算数が苦手で、縮こまりながら四苦八苦してる子もいた。
その子らを見ると、
「勉強ってなんだろう?勉強することが、社会で生きていくのに役立つんだろうか?」
と、思って、結局、その答えがわからなかった。

今、私は、後悔している。
もっと自分の好きな分野を見つけて一生懸命勉強してこなかったことを。

もちろん、急に塾をやめたこともだけど、ピアノのレッスンをやめたとき(子供に笑顔を見せられなくて限界だと思った)、のちにウツで働けない状態で家にこもってたとき、くるひもくるひも、ピアノを急にやめてしまったことで、自分を責めた。
特に楽しんで来てくれていた三人の兄妹の顔を思うと、突然私に会えなくなって、さぞショックを受けただろうと、あとになってから、ふりかえって、自分自身を突き刺すような苦しみを、毎日味わった。
一秒一秒が、針の山の上にいるような、、、それがウツのほんとうの苦しさ。そのときの、自分を責める気持ちが、苦しみの中でも最悪だったと思う。

進路を決めるとき、私は、父が音楽家になりたかったし、母が小学校の先生をしてたから、小学校の音楽の先生ならなれそうだし、それもいいかなと、簡単に考えた。
結婚に希望や夢はなかったけど、一生働くとか、ワーキングウーマンのイメージもなかった。

小学校の音楽の先生になろうと思う前は、おばあちゃんのあとをついで、編み物の先生になろうかと思ってたけど、5年生で、友達に誘われて手芸クラブに入って、才能がないことがわかった、って、ミシンも使えなくて、ミシンの宿題できなくて泣いてたし。

ほんとは看護士に憧れてたけど、先生に体力的に無理だろうと、止められた。

ほかに興味のあったのは、心理。
人間の異常心理に、妙に興味があった。犯罪心理とか。
今でもそれでか、クリミナルマインドとか好きだ。
もともと、父も推理小説が好きだったし(ジャンルは違うけど)、高学年からはまっていた。

今、子供が発達障害とわかって、心理学を専攻しなかったことを、とても後悔している。

でもあの頃は、そんなに需要があると思えず、両親に反対されると思い、打ち明けることさえできなかった。…そこまで真剣にやりたいわけでもなかったし。

とにかく、何を書いてるのかわかんなくなったけど、私の頭ん中、クレイジーだ。

でも、そう言えば、クレイジーな自分が好きだったかな。
人と違ってもいいから、自伝が書けるような人生をおくりたいと、小学校にして思ってた。
人の前では、真面目だと思われてたからか。

今では、息子のために、ささやかでもいいから、ありきたりの、まともな生活をおくりたいと願っている。

なんて馬鹿なんだろう。




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