その昔、さだまさしの曲で「親父の一番長い日」という曲があった。
最愛の娘を嫁に出すときの切ない父親の気持ちを、娘の兄の目線で歌った名曲だが、残念ながら2年前、いざ自分の娘を嫁に出したときには、そんな気持ちはかけらも芽生えず、よくぞこんな娘をもらってくれたという感謝の気持ちと、ただただ幸せで楽しい大宴会で一日が終わってしまった。
まあ、それはともかく、日本中が猛暑日でむせ返る今日この日、我が息子もまだまだ未熟な彼の人生の中でも、最も熱く、最も過酷で、最も幸せで、最も長い一日を過ごしたに違いない…
それは数日前。
久々に里帰りした娘を交えての夕食の時。
突然息子が宣言した。
「日曜日に出るトライアスロンで完走出来たら彼女にプロポーズする」と…
家族:いやいや、プロポーズはいいけど、完走出来なかったらどうするの?
息子:絶対完走する。指輪にもその日の日付を入れてきた♪
家族:いやいやいや、トライアスロンは初めてだし、そもそも海で遠泳したこともないくせに、完走はむつかしいだろ。自転車やマラソンはそれなりに実績はあるけど、海をなめちゃだめだよ。絶対途中で救助艇に引き上げられるのが落ちさ!指輪は絶対無駄になるに決まってる。
息子:いやいやいやいや、絶対完走するから大丈夫!!と根拠のない自信満々。
幼稚園の時、嫌がる息子に自転車の練習をさせた涙の大特訓や、海に連れて行って海に放り込んだ涙の水泳特訓、小学校に入って野球を始めた時、キャッチボールもろくにできない息子に剛速球を投げ込んだ涙のキャッチボールの記憶しか無い俺は、なかなか息子とトライアスロンのイメージが結びつかない。
だがいつしか知らぬ間に成長した息子は、中学では野球部のキャプテンとなり、絶対無理と思った藤枝東高にもぎりぎりで滑り込む。大学入試のセンター試験では、俺の共通一次試験の点数を上回るまさかの高得点。そして大学では自転車で単独で静岡から鹿児島の桜島まで、野宿をしながら1300kmを走り抜き、沖縄まで行ってきた。
さらに社会人になってからはマラソンにも出るようになり、2度目のフルマラソンで3時間40分を記録した。
息子も俺もこれと言ってなんのとりえもない凡人だが、ことほど左様に、期待を裏切りというか期待に応えてと言うべきか、低いレベル同士の争いではあるにしても、これまで節目節目で、まさかの俺越えをして見せた。
だが舞台が海となれば話は別だ。俺の最も得意とするフィールドでそう簡単には勝たせるわけにはいかない。
得意の自転車とマラソンにたどり着く前に、きっとスイムで撃沈するだろうというのが俺の戦前の予想であった。
だが予想に反して、明日からの仕事に備えて和歌山に向かう俺に届いたラインのメッセージ。
息子:
おわったー。
無事成功しました。
並みいる強豪に交じっての初トライアスロンなので、成績は望むべくもなく、TOP10ならぬビリ10グループだったらしいが、それでも見事完走。
タイムは何と奇跡のぞろ目、3時間33分33秒とのこと。
制限時間4時間の中では考えうるいちばん縁起のいいタイムでゴール。
そのまま縁起の良さを持ち越し、ランナーズハイのハイテンションのまま、一気にプロポーズに突入し、見事成功したとのこと。
家族のの心配をよそに、人生最良の日に、人生最高の幸せを自らの手でつかみ取ったようである。
まあ、海での勝負は改めてもう一度決着をつけなければならないと思うが、条件の厳しい海で1.5㎞のスイムを泳ぎ切り、その後自転車40㎞とマラソン10kmを走り切ったことは、親としてひいき目を排除しても評価せざるを得ない。
俺の最後の砦の海のアクティビティーももはや危うい状況となり、ほぼすべての面で親を越えてきた以上、俺としても潔く退く時期が近づいてきたようだ。老兵は去るのみである。
彼の親として俺に残されたたった一つの最後の仕事は、彼の結婚式でやらかすことだけである。一応息子には結婚式では5分だけ俺にくれと言ってあるので、結婚式での5分間を息子へのはなむけとし、それを最後に家長の座を息子に譲り、煩わしい町内会や近所付き合い、親戚付き合いからも一切の手を引こうと思う。
そしてそのあとは、世界につながる大空にぽかりと浮かぶ浮浪雲のように、大好きな南風の中で漂いながら、自由気ままに生きていくだけである。


