フルーツトマトというものがあるそうです。
そのネーミングからして普通のトマトより、ずっとずっと甘く、
その旬も夏ではなく、むしろ冬に多く出回るといから
面白いですね。
そのフルーツトマトなるものですが、
バイオテクノロジーを駆使し誕生した新しい品種なのか?
と思いきや、
最も一般的なトマトの品種のひとつの『桃太郎』なのだそうです。
では、フルーツトマトと呼ばれる桃太郎と、
普通に見かける桃太郎と
そんなに糖度が違うのはどうしてなのでしょう?
この違いは極力水を与えない栽培法により
もたらされるのだそうです。
極力水を与えられないなんて、トマトにしてみたら
とても過酷な環境ですよね。
(乳牛にモーツアルトなんかを聞かせてリラックスさせると、
搾乳量を増せるなんて話を聞いたことがある気がするんだけど、
フルーツトマトの栽培コンセプトはむしろ真逆。うーん面白い。)
そんな過酷な環境下に晒すと、トマトは水分を得ようと、
ずっと深く根を張り、
より多くの糖分を果肉に蓄えようとするのだそうです。
(糖分は種ためのエネルギー。でもトマトも思惑とは裏腹に
私たちにおいしくいただかれちゃうのだけど。)
栽培する農家の方からしてみても、
多くの手間も時間もかかり、収穫量も限られてしまうそうです。
しかし、いざ収穫の時期を迎えてば、
もはやそれはずっと市場価値の高いフルーツトマトであり、
がんばった甲斐があるってものです。(トマト?農家の方?)
過酷な状況に陥らなければ、普通においしい桃太郎トマト・・・
うーん面白い。
ストレスがむしろプラスに働くこともあるということですよね。
(もちろん行き過ぎれば乾き切って死んでしまうでしょうが。)
もっと違う選択肢だってあっただろうに、
もちろん義務でもないのに
何の因果か、いい年した大人なのに勉強生活を選んだ私。
このフルーツトマトの話を知った時、
私や私と同じように勉強生活を送っているすべての“
必殺勉強人”の身に置き変えて、
同じことが言えるのではないかと思いました。
あえて厳しい道を選び、毎日自分は目標に届くのだろうかと
不安を抱えながらも、常に前に自分を推し進めるためには
勉強していくしかないなんて、
こんな生活、ストレス以外の何ものでもない。
そのすべては私達が『フルーツトマト』となるための
必要なプロセスと考えてみてはどうだろう?
その過程においては、
生き残れないかもと感じてしまうもの不安なのも、
極自然なこと。
必死で地中に根を張りめぐらせた根の存在も、
本人からしても、ましてや周囲の人間からは
当然分かりにくいものだろう。
さらに、誰から見ても明らかな結果が出るまでは、
友達が遊びにあてている時間もお金も勉強に費やしてるなんて、
そりゃ、凹むことは頻繁(ひんぱん)!!
でも、それもこれも自分に付加価値をつければ
自分の人生をもっといい方向に変えようと思ったから。
つまり『フルーツトマト』になりたいと
思ったからこその受難なわけで、
きっときっとその向こうに
私たちのサクセスが待っているんだもん。
と考えてみていかがでしょう?
Let’s talk to ourselves
if we feel like giving up our studies,
“Don’t give up. Keep on studying.
Because we are just like
fruit-tomatoes growing under a heavy condition”
↑気分転換の英作文。
それから英語で”tomato”はアクティブな若い女性の
比喩表現として使うこともあるそうです。
へぇ~、へぇ~・・・。