北御門口参道から 伊勢神宮 豊受大神宮(外宮)
《駐車場》へのルートは、
外宮沿いに表参道から北御門口へ向かう道を進み、
表示通りに従えば、左右に入り口がある。
内宮へはここからバス(¥410?)で行くのも
知識として覚えておくとどこかで役に立ちそうだ。
鉄道の伊勢市駅ができるまでは、外宮は北口が表参道だった。
いまでも御木曳初式の斎行にはこちらを使う習わしが残っている。
神宮内に入るとさっそく目の前に火除橋(ひよけばし)。
明治期まではここまで民家が立ち並んでいた。
この火除橋は外からの火災を防ぐという意味と、
忌火(いみび)を使う神域とを分ける/外の火を持ち込ませない
意味があるといわれている。
■北御門鳥居 (きたみかどとりい)

■神楽殿 (かぐらでん)
神楽殿とご正殿の間にある、
白石の敷かれた広い空間を大庭(おおば)と呼ぶ。
写真では向こう側。
そこに五丈殿と九丈殿が
90度向きを変えて建つ。
九丈殿の前の大庭に祀られている。
宮域の境界の守護神で
石座が並んだ社殿を持たない神。
大昔は各社の敷地の角に祀られていたが、
敷石と区別がつかなくなり、
ここ一所にまとめて祀るようにした。
正宮の道の反対側に広がる列席会場。
ひっ、ひっ、広いー。
以前の景色が思い出せない。
直前になると道に長い長い屋根がつくられる。
外宮の場合、神楽殿から伸びる正宮への参道は
東から西に続いている。
今回は東側から奥手の西側の敷地へお移りになる。
足かけ八年の62回式年遷宮は、
その諸祭が始まってから遷御までの間だけはその西側を
新御敷地(しんみしきち)と呼ぶ。
遷御が完了すると、これまであった敷地を
古殿地(こでんち)と呼ぶようになる。
古い社殿の跡は石組みが残され、
心の御柱(しんのみはしら)の覆い屋が設けられる。
新御敷地に移る前に、天照様に参拝しようと
たくさんの人が訪れていた。
隣の垣根越しからは
空に突き出た新しい正殿の屋根と
桧の香り。
もう、あんぐりである。
亀石から見るとがっぷり、
まるまる池の上まで会場を広げていたんだから。
***
神宮のあちこちで大工さんのかなづちを叩く音が響く。
今は若手の大工さんも、
きっと次の遷御のころにはバリバリの中堅で活躍?
昔、多賀宮へ向かう97段のこの石段の途中で、
檜垣常昌(ひがきつねよし)という禰宜が
にわかに倒れ命を落としたことがあったそうで....
「上ることがしんどくなったら退官の時期」
そんな伝説があったとか....
今なら定年制?
■多賀宮 (たかのみや)
【祭神】豊受(とようけの)大神の荒御魂(あらみたま)
第一別宮。高宮(たかのみや)とも称される。
公称では濁音がつかない。
石段を上りきったところに
誰が名付けたか、
寝地蔵(ねじぞう)と呼ばれる石がある。
寝ているお地蔵さんのようにみえるらしい。
神域のメッカに仏様とは。
ご興味の方は左手を探索ください。
遷宮まであと数日。
■土宮 (つちのみや)
大土乃(おおつちの)御祖神(みおやのかみ)
山田原の鎮守で、地主の神。
川の氾濫を鎮める神様。
古来よりこの宮のみは社殿が東向き。
■風宮(かぜのみや)
級長津彦命 (しなつひこのみこと)
級長戸辺命 (しなとべのみこと)
もともとは稲作に困らないようにお祀りした。
鎌倉時代の元寇の時、神風を吹かせて日本を守り、
また黒船来航の時も祈願されたという。
手にカエデの葉のような団扇をもっている。
■下御井(しものみいの)神社
小さな社殿の中には
清らかな水をたたえる御井戸。
(※右は二ヶ月前の下御井神社の写真)
同じ外宮の
上御井神社は古来最も神聖視されていて、
毎朝、神職の方が一桶づつ奉汲し、
神饌御料に供するのですが
(※右は遷宮直前の下御井神社の写真)
その上御井神社に不都合が生じた場合には
こちらの下御井神社の井戸の御水を
使用するそうです。
社もすっかり新しくなりました。
青い光が降り注ぐ静かなスポットです
■外宮摂社 度会(わたらい)国御(くにみ)神社
【祭神】
彦国見加岐建與束命(ひこくにみがきたけよつかのみこと)
度会氏は明治初期まで
代々外宮の禰宜[ねぎ]を世襲してきた一族で、
その祖霊を祀る。
もとは五十鈴川河口の守り神。
以前は内宮のお社でしたが、
一時期行方不明となった後、
明治時代にこの場所にお祀りされた。
※右写真は大津神社そばに聳えている木。
《つづく》















