静やかに神無月
地域の一の宮様から、
村々里々にお鎮まりの神々まで、
出雲大社にお集いての神議(かみはかり)。
向こう一年分のすべてのご縁という、
とてつもない膨大な情報が組み込まれていく。
夜昼も無く、ずっと会議しているのか?
と・に・か・く、
日本は楽しい。
日本は神々より"一つの国"。
この国に生まれた自分が、
これだけでなんとなく誇らしい。
***
ケーキを買ってきて、
神棚と仏壇にお供え。
今日は誕生日。
神様に現世にうまれ出ることを許されて、
はやウン十年。
今病床にいるずっと小さくなった母親を看ていると、
そのウン十年前の当時に私が生まれたという事実が、
若かったとはいえ相当に母の身体に無理をかけた気がしてくる。
あれからずっと世話になりっばなし。
そりゃ、あちこち磨り減って小さくもなる。
***
創造主は宇宙に人間を創ることをはかられ、
百何十億年もかけてこの地球を作った。
穏やかな自然からの恵みをいただき人は神に感謝した。
この無償の恵みというのが
まさにずっと今まで親から受けた気持ちとも通じている。
自然の恵みは、
"与えられている"のだけれど、
"生かされている"よりも
まるで親が子を"育てている"の方が近い。
思わず
アアアアアーと唸った。
***
後輩をもってはじめて先輩の気持ちを知るように、
子供も自分が親となったとき、親の気持ちを知る。
この気持ちを味わった経験は知識・観念とは全く別次元に違う。
いつしか子供が社会人となり、
自他ともに立派に独立した存在となったとしても、
しかし、
子供を持つ経験なくして自分の親の思いを本当に知ることは難しい。
胸に手をあてて考えて欲しい。
自分は親をどれほど慕っているのかと。
理想もしくは反面教師だろうと、
気づかせてくれたことに違いは無い。
子はしっかり親を選んで生まれてきた。
自分の親を愛せない者には、
他人の親にも尊厳をもてやしない。
なのに堂々、
何の欠けもない成人だと自分を疑わない。
理屈・知識は人生の宝とならない。
他人の経験してきた歩みに尊重の気持ちが湧かず、
目上にさえ敬意が薄くなっているのに一体それでどこが完全か?
「年は関係ない」
人を評価するのにこんな前置きする人は
自らを省みることがないということ。
「無知の知を知れ」
来世かいつかどこかで、思い知ることだろう。
