「信じる信じないではない・・・」
大門の交差点から東京タワーをスナップ。
曲がってしまった先端のアンテナは修復工事中で、
ちょっとだけ短くなっているこのお姿も貴重でしょう。
タワーは戦後昭和の肝っ玉。
夜はライトアップされたタワーも美しい。
***
家のふとんの片付けに、頭が神棚の前に近づいたとき、
ふとこんなフレーズが浮かんだ。
「(神を)信じる信じないではない・・・」 んん?
今朝、
寝起き前のふとんの中で、
私は自分の信念の弱さについて考えていた。
感謝の気持ちというのは、
わが身の不運を意識したとたん遠ざかってしまうもの。
試されている事もあろうが、
自分の信念はそんなストレスにあっけなく弱いなあと。
フゥーーー ┐( ̄ヘ ̄)┌ (ヤレヤレ)
***
思わず、私は片付けの手を休めて今の言葉を反芻してみた。
「あーーー、いまのは今朝の答えだったんだ~」
心を神に寄せることを通して
「気づき」が加速して進むことがある。
自分の行いを見直すきっかけとなる。
けれど神は人に信心を求めているわけじゃない。
その命が、皆、等しく、幸せとなる様見守っている。
私は頭のなかでそうイメージした。
ステップアップするには、
それなりに準備が必要だ。
遅々とした進行に落ち込むこともあるけれど、
条件はひとつひとつ揃えていくしかない。
後退している気がするだけで前進しているんだ。
実感が伴わない時期があろう。
今は経験を「気づき」として重ねている段階を
膿まずたゆまず続けていけと、
いつも御神籤から諭されている。
信念とは育てるもので、
自分に言い聞かせて設定するものじゃない。
んじゃまー、当面はグラグラしながらでも
支えていこうかね~
***
実際に神社に参拝すると、
全然頼んでいないのに、
人智ではわからないところで
何かが作用している、
なんてことが起きている。
先日の江ノ島神社の弁財天様も
銭洗弁財天宇賀福神社でも、
行った帰りは仲間内の会話が弾むのね~
この間のトゥリーディングのワークでは、
自分の意識と関係なく、
下川さんに会っているというだけで、
ご先祖様が集まってくる不可思議さ。
気分が悪くなったり、寒気がする人が続出、
結局全員のお祓することに。
アマテラス様と歓喜天さまと繋げて
頭の上から
ずばばばぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ っと
たくさんのご先祖様が天に帰っていく。
わかんないけどうれしい。
何も見えないけれど
渡された懐中袋がまるでバイブレーターのように振動するし、
そうなりゃ、むちゃ必死で本気になるわいな。
帰り道はユラユラ、駅まで皆で歩いて帰るんだけど、
なんとなく帰りたくないような。
経験は宝物。
私の中に感動と共に自然に育まれるのは
心からの信心。
