ある日のこと

 

己の泣き声で目を醒ましました。

 

初老が赤ん坊のように

えーんあせるえーーーんあせるって

号泣してた。

 

夢の内容は、

 

父親の葬式で、

わたしは遺影に向かって

石(?)を投げつけていました。

 

どこかの映画みたいなシーンだな、

と思いながらも

 

「葬式なんて出てやらないからなーー!!」

 

と泣きながらなにかを投げつけていた。

 

 

「葬式なんて出てやらない」と叫びながら

葬式に出ている矛盾。

 

さすが『夢』

 

 

死因は、もちろんあの注射。

 

なんどもなんども

撃たないでとお願いしたけれど

撃ってシんだ。

 

だからわたしは、

怒りと悲しさと悔しさでいっぱいで

何かを投げつけていたのだけれど、

 

本当は父親に向かってではなく

お上に対しての怒りだ、

って気づいていた。

 

小学生のやんちゃ坊主並みの勢いで

 

チキショー!チキショーーーー!!って

鼻水垂らしながらやってた。夢の中で。

 

 

先日、父親のお誕生日だったので

 

無理は承知だけれど、

息子が

「おじいちゃん、撃たないでね」

 

という動画をおめでとうと共に

送りました。

 

父の意思は変わらず、

6月末に一度目を撃つそうです。

 

 

 

母親も同調圧力に負けて

 

「やっぱり撃つことにした」

 

と夢の中で言われたので

まさかとは思ったけれど、

 

母に聞いてみると、

 

 

↓↓↓

IMG_2157.jpg

 

 

ハズレてヨカタ。

 

 

 

本当に『家族』ってやつは、

 

厄介だな〜と思います。

 

 

舞台に上がりこんで

自らドラマの中にのめり込み

舞台上でワイワイやっているのに気づかない。

 

 

出来上がった映像を

スクリーンに流しているのに

 

その映像を変えようと

必死に白いスクリーン内で

自分だけ大暴れしている。

 

 

あ〜あ......いやになっちゃうな〜。

 

 

 

舞台上であれこれやっても無駄、

とわかっていながらも、

 

父にコチラ↓の動画を送りました。

 

 

「この動画を見せたら

両親が撃つのをやめてくれました!!」

 

「母親がコ●ナ茶番に気づきました」

 

と拡散されていたので。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 

大切な時間を作って

父は観てくれたそうです。

 

「国産惑チンが出るまで待ちましょう」

とわたしも伝えました。

 

「注射撃つな!!」ではなく、

少しの時間稼ぎになると思って

 

「国産まで待とう」と言いましたが、

 

 

父の気持ちは変わらないそうです。

 

 

 

 

 

以前から、

注射を撃つ前に

「会いに行きたい」と

伝えていました。

 

 

注射云々関係なく、

いつ会えなくなるかわからないし、

 

『これで最後かもしれない』

 

と実家から出る時にいつもそう思って

別れていました。

 

 

 

今回、

本当に最後になるかもしれないし、

そうならないかもしれない。

 

どちらであっても

受け入れますが、

 

会いに行くこと自体、

普通にお断りされましたけどね。

 

 

 

それでもわたしの中に

『願い』というのがやってきて

 

「誰か冷凍庫の電源切ってくれないかな〜」

という妄想が止まりませんでした。

 

世界中の惑チンを保存している

冷凍庫の電源を切りたい。

 

 

それか、

注射を撃たないと安心できない

高齢者のために

 

トップが撃っているような

中身が【毒】ではない

生理用食塩に変えたい

 

という妄想。

 

生理用食塩というか、

うったらものすごく元気になる

ビタミン剤みたいなものにすり替えたい。

 

 

 

 

わたしの幼き頃の夢が

 

【鼠小僧次郎吉】みたいになる!!

 

だったので、

 

夜な夜な注射の中身をすり替えて回りたい

と真剣に思ってしまった。

 

 

 

鼠小僧(ねずみこぞう、寛政9年(1797年) - 天保3年8月19日1832年9月13日))は、江戸時代後期(化政期)の盗賊。本名は次郎吉(じろきち)。鼠小僧次郎吉として知られる。

本業は鳶職であったといわれる。大名屋敷のみを狙って盗みに入り、貧しい人達にそれを施したとされる事から、後世に義賊として伝説化された。

 

 

 

 

 

それに、

今までうってしまった方々の

注射の中身は、

【毒】ではなく

すり替えられたものかもしれない。

 

どこかの国のナースが

撃ったふりをして、

中身を捨てている映像がありましたが、

 

もしかして、

日本でもそんなケースがあるかもしれない。

 

 

そんな妄想が止まりませんけど、

この『妄想』というか、

 

「もしかして

【毒】撃ってないんじゃない?」

 

という想いが

パラレるのです。

 

 

「撃って欲しくない」

と思うのは、

 

今回の惑が危険であると

言われているからで、

 

「撃ったら終わりです」

「撃ったらカラダが

こんなにあんなに変化して〜...」

 

という投稿が多く散見されるから

なのですけど、

 

 

大切な人がうってしまったトキ、

 

「うったら終わり」

だなんて断じて思いたくない。

 

 

「もしかして

【毒】撃ってないんじゃない?」

 

「注射打っても

呑気に長生きしちゃうんじゃない?」

 

 

こうして己の立ち位置が変わったトキ

観えてくる映像も変わる。

 

 

 

「危険だ危険だ」

という多くの想念エネルギーから

 

「みんな無事である」

「みんな一生無事である」

 

という集合意識への変化は、

世界がひっくり返るサマを

みんなで目撃できると思ってます。

 

 

 

 

___________

 

 

本当に『家族』ってやつは

厄介だな〜って思います(2回目)

 

 

親に対する想い以上に

子に対する想いの方が強烈で

 

己の真ん中から

大幅にズレがちかと思います。

 

 

いつも心配で不安で

「わたしが守らなければ!!」

って思うからね、特に母親は。

 

 

大元にある

「わたし[自我]がやらないといけない」

という思い込み(信念)は

 

誠に厄介でしぶといです。

 

▼▼▼

 

 

「あ♡わたしがやらなくても

大丈夫なんだ〜〜〜」

 

とココロから思えたトキの

体感を見つめて

味わってほしいと思います。

 

ものすごくカラダが軽くなるのを

感じられると思います。

 

肩に乗っかっている荷物がおりた

というか....

 

フッと軽くなる感覚が。

 

 

わたし[自我]がやるんじゃないんですよ。

 

宇宙、神、とかいう、

 

【真我,大我】がやるんですよ。

 

 

俺にやらせろ!

わたしにやらせて!

 

と自我様が出しゃばるから

 

宇宙が存分に力を与えていることに

気がつかない。

 

 

「あ♡わたしがやらなくても

大丈夫なんだ〜〜〜」

 

↑↑↑

 

コレコレ!!この瞬間、

 

ホッとして力が抜けた瞬間が

太陽光を遮っていた日傘を下ろした

瞬間です。

 

▼▼▼

日傘をさして

太陽光(レインボー、愛)に

抵抗して遮るのも自分。

 

日傘を下ろして

太陽光(レインボー、愛)を

素直に受け取るのも自分。

 

 

ぜんぶ自分次第。

 

 

 

闇は、

レインボーを遮るから現れる。

 

だったら、

 

暗闇【闇】が不快ならば

 

電気を点ければいいよね。

カーテン開ければいいよね。

太陽浴びればいいよね、

(※レインボーの鍵を入れる)

 

 

 

 

 

 

 

すべての『問題』は

思考が作り出した幻想で

 

問題だ!てぇ〜へんだ!

『問題を抱えていると錯覚している者』

も舞台上での演出でやっているに過ぎない

 

架空の存在だ、と気づくことです。

 

 

つまり、

 

『問題』も『問題だと思っている者』も

 

すべて想像上のものだったのだ、と。

 

 

 

本当に『家族』ってやつは

厄介ですよね......(3回目)

 

 

 

今日は以上です。

ありがとうございました。