まだ息子が生まれる前、
プロ野球シーズン中に
甲子園へよく通っていました。
あるとき、
3連戦とも雨予報であったらしく
一緒に出かけた同行者は、
新幹線の中でずーーーっと!!
天気予報を調べ、
『中止になったらどうしよう』と
心配していました。
わたしが、
『中止にならないよ。大丈夫だよ』
と言っても
大した慰めにもならず、
『どうして?中止にならないと
自信満々に断言できるのだ!!』
と、所謂.....
エビデンスを示さないと
信じてやらない!!!!
と頑なに天気予報と
にらめっこしていました。
根拠も証拠もないけれど、
わたしの中では真剣に
『中止になる気がしないから』
であって
『自分が甲子園に行ったときに
中止になったことがないから
中止にならない』
だったのでした。
でもそれだけでは
当たり前に信じてもらえませんでした。
結果、
中止にならず
試合を楽しむことができたんですけども。
~想像できることはすべて現実なのだ~
byピカソ
~人が空想できるすべての出来事は
起こりうる現実である~
byジュール・ヴェルヌ
(※この名言は漫画『ONE PIECE』にも出てくる)
今この瞬間に想像できる
すべての現実が
今ここに存在している。
無限∞のパラレル世界。
試合が中止になる世界もあるし、
試合を楽しめる世界も
同時にある。
この世界のカラクリを
当時のわたしは知らなかったけれど、
今ならわかる。
『中止になったらどうしよう』
と不安であるために
外側に【安心】を求めて探したら
安心を探す現象が現れる。
つまり、
【安心】は、
どこを探しても見つからない。
その現象をみて、
また不安になるから
また安心を求めて探すことになって
安心を探す現象が現れ続けるという
不安ループに入る。
この世界は、
自分の投影....鏡であるから
探せばそのまんま!探すが映され、
恐れたらその通りに恐れが現れる。
不安だから
安心するための根拠や証拠を
外側に探す、という
長年の癖が染み付いているかと思いますが
自分=世界
を知ってしまった我々は、
探せば探す世界が現れることに気づき
ただ【安心】すればいいんだな
と気づきます。
根拠なしに【安心】しちゃえば、
根拠も証拠も自然と現れてくる。
な、な、なんと!!
逆だったのだ。
望む現実を想像できたのなら
それは実現する。
~想像できることはすべて現実なのだ~
byピカソ
わたしは、このとき
「甲子園で試合を楽しもう」を
「トイレに行こう」
と同じレベルで意識していたように思う。
「トイレに行こう」と思ったけれど
どうやったらトイレに行けるだろうか。
雨が降ったらどうしよう。
失敗したらどうしよう....
などと心配しない。
「トイレに行こう」と思ったから
トイレを探してトイレに行った。
「甲子園で試合を楽しもう」と思ったから
試合を楽しんだ。
トイレに行けた現実も
試合を楽しめた現実も
【ある】と信じて疑わなかった。
それに反して、
自分が想像できないことは
自分の世界に現れることができない。
息子のお友達が
3学期に入ってから
週5で塾に通い始めたそうです。
D「毎日『めんどくセー行きたくねー』って
言ってるよ。」
P「ダイヤくん、
自分も週5で塾に通うイメージできる?」
D「できない」
P「うん、わたしもその想像...
なんども試みたけど全く想像できない」
我々親子の世界には、
今のこの時点では、
塾に通う現実は現れないということです。
誰もがみな、
思った通りの世界を映し出している。
この世界は、
信じたものを視る世界。
▼▼▼
この世界は、
スマホ画面みたいなもので
意識を向けると
スマホ画面をタップして
そのページが開くように
この世界にその画面が拡がる。
『自分が甲子園に行ったときに
中止になったことがないから
中止にならない』
と意識しているから
その画面をタップして
『試合を楽しむ』世界を現した。
同行者の意識に引っ張られて
わたしも
「中止になるかも」
と意識した途端、
『試合を楽しむ』画面は、
シュッと閉じて、
『雨天中止』画面を
視ていたかもしれない。
『試合を楽しむ』現実は
確実にあるのに、
自らその画面を閉じてしまった。
そしたら、
すぐに切り替えて
『大阪グルメのはしご』画面を
タップしていただろうけども。
つまり、
スマホには無限∞のページがある。
この世界も
今ここにすべて(無限∞)がある。
イヤな画面(望まない現実)を
視ているのに気づいたら
意識を外して画面を閉じること。
そして、
視たい画面をタップすればいい。
意識を外したくても外せないんだよーー!!
ってなるときもありますね。
そんなときこそ、
闇出し。
荒ぶる感情をそのまま感じて
宇宙に飛ばしてもいいし、
(※息子の闇出し方法)
波がおさまるまでじーーっとしてもいい。
水面をぱちゃぱちゃしない。
わたしは、
マイナス感情がやってきたら
それは自分のモノではない、
と眺めていることが多いです。
それをどうにかしようとせずに
空間に委ねている感じです。
そして落ち着いたら
視たい画面をタップする。
コンニチの大統領選も
不安になって外側に根拠や証拠を
探したくなるかもしれませんが、
レインボーだらけの世界を
想像できたのなら
その世界は実現するのです。
心配はいらない。
「大丈夫、心配いらない」
と
いつも頭を撫でられていた、
ということ。
根拠とかそんなもんいらんから
素直に安心して!
という感じ。
いつもそばで
頭を撫でてくれている存在がいる。
例外なく、
すべてのヒトの頭を
優しくナデナデしている。
▼▼▼
赤ちゃんは、
根拠とか証拠を求めたり、
原因追求したりしない。
だからあんなにも
キラキラ輝いている。
つまり、
我々の本質は、
愛であり完璧であり
喜びで楽しみでご機嫌さんなのである。
赤ちゃんみたいに。
そして、
【安心】そのものであるから
外に探しても見つからない。
ここにあるのだ。
今年は、みんなで
【赤ちゃんがえり】をしようではないか
という提案。
今日は以上です。
ありがとうございました。


