夕食に鮭を焼きました。
いつもより骨が多かったようで
なんどもなんども
口から骨を取り出しながらの食事。
子どもは魚の骨が苦手、
という思い込みがありましたので、
P「骨大丈夫?」
と一応、声をかけたんです。
やはり、
最近の子ぉ〜って
今までの『子ども』っていう概念を
華麗にぶち壊してきますね。
我が息子、
晴れ晴れしくこう言い放ったのです。
D「大丈夫。骨も好き。(固いから食べないけど)
ダイヤくんのための命だから......
大切に食べてるの。
お魚の命、
ダイヤくんの命と合体してるの。」
が、合体.....。
命の合体。
過去に息子は、
命のカタチは三角で
それが進化して六芒星になった、
と話しています。
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鮭の命と己の命を合体させる。
食事とは、
命をいただくものである
と知っている。
自分の中で
たくさんの命が生きていることを知っている。
アッパレにも程がある。
あぁ.....果てしない....果てしない.....
ーー遠い昔、
自ら命を絶つことが
どうしてイケナイことなのか
自分の言葉で説明してみろ!と
言われたことがありまして、
わたしは、
何も言い返せませんでした。
まぁ〜、
酒の席でのことなんですけどね。
自分に子どもができたとき、
命を大切にする意味を
我が子に伝えられるのか、
ということだったと思います。
そもそも当時のわたしは、
自分で命を絶つことが
どうしてイケナイことなのか
まるでわからなかったのです。
この世で1番大切なものは
「いのち」だから
いのちを粗末にしてはイケナイ、とか
親が悲しむ、とか
命は自分のものではないから、とか
天国へいけないから、とか
次に生まれ変わるときに
人間に生まれ変われないから、
とかとか.....
諸説紛紛ございましたが
自分が納得できる答えに
たどり着くことはできませんでした。
(ゴキブリに生まれ変わる説とかあった)
それからだいぶ月日が経ってからです。
息子が話すのと同じ考えに至り
自分の中で納得できたのは。
自分のために
たくさんの命が死んでくれた。
その命がわたしの中で
今でも一緒に生きている
という事実に行き着いたとき
この『いのち』は、
自分だけのものではない、
と納得、理解できたのでした。
今ではそれ以上に、
誰もがこの世界で
価値のある重要な存在であることを
理解しているので、
改めて
『いのち』について語ることなど
ありませんし、
ましてや我が子に
『いのちの尊さ』的な教えを
いい気になって、とうとうと語っても
それはまさに
『釈迦に説法』で、
母さん、恥をかく.....なのでした。
【鬼滅の刃】を息子に観せるときも
あまりにも強烈な場面があるので
目を伏せるよう促したりしましたが、
息子は、
「鬼も人間も一緒だよ。
ダイヤくんも【ご飯】食べるからね。
動物たちに死んでもらって食べるから
人間も鬼も一緒だよ」
と言いました。
息子には敵いません。
あぁ.....果てしない......果てしない.....(2回め)
命は命を食べて生きている。
今日は以上です。
ありがとうございました。


