夕食の準備をしていました。
どうしても!!
ネギ焼きが食べたかったので
バターの香りを部屋中に放出させ、
バックミュージック的に
ジュウジュウというグリルサウンドも
響かせまくっていました。
息子はリビングで
絵を描いていました。
バターの香ばしい匂いと
ジュウジュウサウンドに
惹きつけられた息子は、
夢中になっているお絵かきの手を止めて
キッチンに立っている母の方を見た。
うわぁ〜♡遊んでるぅ〜〜♪
赤ちゃんが遊んでる〜〜〜♪
そう思ったのだそうです。
息子が突然、
キッチンにそそそーっとやってきて
わたしの頭をいきなりナデナデと
撫でたのです。
P「どうしたの?」
D「ぴ〜ちゃん、かわいい♡
ぴ〜ちゃん、赤ちゃん。
ぴ〜ちゃん、
ダイヤくんの赤ちゃんかと思っちゃったの♡」
P「..........。」
どうやらわたしは、
ネギを焼きながら
だいぶニマニマしていたらしいのです。
息子はその姿を目撃して
母親のことを
自分の赤ちゃんだと思ったという。
あれ?
これって
過去にわたしが息子のことを
『お父さん』だと感じたときと
同じ感覚なのかもしれない、
と思いました。
▼▼▼
息子に全力のいないいないばぁ!
をされて大爆笑したときのあの感覚。
P「ダイヤくんがわたしのお父さんであるときを
思い出したって感じなのかな。」
D「そうかもしれないけど、
今ね、今そう感じたから
ダイヤくんはぴ〜ちゃんのお父さんなんだよ。
ぴ〜ちゃんの子どもだけどね。
でも、
ぴ〜ちゃんとダイヤくんは結婚してるでしょ♡
結婚してるの♡」
結婚してたのか。
いつのまに........。
おそらく彼には、
エネルギー的なモンだけが
視えているのかもしれない。
存在そのものの波動というか。
見た目の造形とか、性別とか
年齢とか血縁とか....
そういったものすべてが
観念(おかず)であることを知っていて
初めから制限という
フィルターがかかっておらず、
”あるがまま”しか
視えていないのかもしれない。
完全に
ニュートラル視点。
大人とか子どもとか
男だとか女だとか
母親だからこう、息子だからこう
.....という枠を
初めから持っていない。
こうだから、こう!
とそこに鎖をつなげていない。
みんな愛と光の存在で
みんなレインボーだから、と。
彼の前では
ニュートラル番長...出る幕なし。
▼▼▼
去年、
闇出ししまくっていた頃、
急に現実うっすぅ〜!状態になり、
あるとき、電車に乗ったら
乗客の方々が光の存在にしか視えず
キラキラに圧倒されて涙ぐんだことがありました。
(過去記事あり)
息子にはいつもこんな感じに
世界が視えているのだろうな、
とちょっとだけですけど、
息子の視点が
わかったような気がしました。
年齢とか性別、
職業とか地位とかいう
『おかず』が
ただの記号にしか視えない。
息子は、
わたしに『お母さん』という
肩書きがあるから
好きなのではない、と言っています。
「ぴ〜ちゃんが好きなんだよ」と。
わたしも
息子に『我が子』という肩書きがあるから
好きなのではなく、
ただただ『愛しい存在』として
縁が続く限り
一緒にありがたく暮らしていきます。
ーー親子共々、
秒で至福を味わえるネギ焼き。
た、たまらん。
バターで焼き目をしっかりつけて
火を止めて、
みりん、醤油、酢ちょっと入れて
火をつけて絡めます。
オリーブでしっかり焼いて(焼き目が大事)
仕上げにバターと醤油でも
美味しいです。
今宵もネギ焼いて
ニマるだな。
今日は以上です。
ありがとうございました。

