今日は、

こちらの記事に書いた......

 

『記憶の中で生きるな!』

について、

 

もう少し書いてみます。

 

 

記憶の中で生きるな!!

 

 

できなかった過去を捨てる。

失敗した過去を捨てる。

 

それだけでなく、

成功した記憶も捨てる。

『過去の栄光』に執着しない。

 

 

 

▼▼▼

 

you-ba-baさん♪

コメントありがとうございました。

 

『今』について書かれたブログを読んで、いつも疑問に思っていた事があります。そして今日のブログを読んでまた疑問が湧いたのでコメントさせて頂きました。

『できなかった過去を捨てる。失敗した過去を捨てる。』
は分かる。

『それだけでなく、
成功した記憶も捨てる。
「過去の栄光」に執着しない。』
の所です。


今、私がしたい事は大好きな人に会う事。
でも事情があり会えない。
過去に会った時の幸せな気持ちを、何回も何回も思い出して、(はい、牛になってます。反芻してます。)幸せに浸っている。
これってやはり今を生きてないんでしょうか?


もしできましたら、何かの折にブログの中で、回答的なお話を頂けたら嬉しいです。

 

 

 

「過去の栄光」を捨てる、とは......

 

過去の栄光を【物差し】にしない

という意味です。

 

 

「過去の栄光」と『今』を比べて

判断しないために。

 

つまり、

 

『今』を否定しないこと。

 

 

なぜ?

『今』を否定しない、

と書くのか。

 

 

それは、

『今』を否定すると

『今』の気分が悪くなるからです。

 

『今』『今』『今』.....の連続が人生なので

『今』を否定すると

己の人生を否定していることになる。

 

だから、気分が悪い。

 

 

自分を心地よく

【快】にさせるためには、

 

『今』を肯定し、

『今』を受け入れることです。

 

 

 

 

「過去の栄光」に執着すると、

 

昔はできたのに「今」はできない、

と昔と「今」を比べて

「今」を否定する。

よって、気分悪し。

 

若い頃はモテたのに

「今」はモテないからダメだ、

と自分を否定する。

よって、気分悪し。

 

 

you-ba-baさんの

「過去にあった幸せなデキゴト」を

なんども思い出して幸せに浸ることは、

 

今、【快】なので

今を否定していません。

 

『今』幸せに浸って

それを感じているからです。

 

 

 

「過去にあったデキゴト」だとしても

『今』それを感じて幸せなのだから

体験しているのは『今』なんです。

『今』幸せ体験しているんです。

 

 

 

「過去の栄光」を捨てて

物差しにしないとは、

 

「過去にあった幸せなデキゴト」を基準にして

あの時は幸せだったのに

『今』は幸せじゃない、と

過去と『今』を比べてしまわないためです。

 

基準を「過去」に持っていかない。

「過去」を正解にしない。

 

 

 

 

例えばわたしの場合....

 

息子が赤ちゃんだった頃の写真をみて

幸せを感じます。

感じているのは『今』です。

 

でも、

過去に基準を置いていたら

 

昔は可愛かったのに今は可愛くない。

昔は優しくできたのに今は怒ってばっかり

 

などと

『今』を否定することになる。

 

 

過去の写真を眺めて

幸せに浸ることは、

過去に生きているわけではありません。

 

『今』なにをどう感じているのかが鍵です。

 

 

過去の写真は、

『今』の自分を

心地よい気分にさせるためのツールです。

 

 

映画を観て、

「これは過去の作品だから

『今』を生きていない」

 

と思いませんね。

 

 

「お笑い番組」を生で観覧し、

そのテレビ放送を録画して

数年後、

家でまた観なおして大爆笑してたのに

 

「これは過去にあったデキゴトだから

『今』に生きていないのかな」

 

と疑いませんね。

 

 

好きなアーティストのライブへ行って感動し、

そのDVDを買って、

あの感動よ!再び!!

後で見直してまた盛り上がっている今、

これは『今』に生きていないことか?

過去の栄光に執着しているのか?

って決して思わないですよねって感じ。

 

 

 

過去にあったことだろうと、

感じている『今』

幸せなのか.....

心地いい気分なのか、が重要なんです。

 

『今』を【快】にするなら

どんなツールを使ってもいいですよね。

 

 

 

ただ、

「過去にあった幸せなデキゴト」(過去の栄光)

を【物差し】(基準)にしたら

 

『今』【不快】になっちゃうよね

って話。

 

 

『今』より過去の方が素敵!!

って判断しちゃっているのだから。

 

 

 

過去が素敵で完璧なのではなく、

 

『今』が完全完璧であり、

100点満点のパーフェクトであると

受け入れることができればイイ。

 

 

『今』と闘わないこと。

 

▼▼▼

 

未来のために

「このままではいけない」と

『今』を踏み台にしてはいないか。

 

 

過去を引きずって

「あの出来事のせいでこんなことに」と

『今』を恨んではいないか。

 

 

『今』を敵として闘っていないか。

 

 

 

 

「過去にあった幸せなデキゴト」を

思い出して、

『今』幸せを感じるのは素敵です。

 

 

「過去にあった幸せなデキゴト」を

思い出して、

 

「あの時は幸せだったのに

『今』は幸せじゃない」と

『今』に抵抗して否定するのは辛い。

 

 

 

「過去の栄光」を物差しにしない。

 

 

過去が完璧なのではない。

『今』が完全完璧なのだ。

 

 

栄光は過去にあるんじゃない。

今にあるんだ!!

 

.....みたいな。

 

 

 

でもね、

 

『今』が完全完璧だなんて

全くもって思えねぇ〜〜〜!!

 

ってなることもあります。

 

 

それは、

必ずそれ相当の【物差し】があるので

 

それを見つけて闇出し!!

 

 

【物差し】を手放してしまえば

比べようにも比べられないので

 

『今』を善悪判断できなくなり、

『今』を受け入れることができる。

 

 

 

『今』に生きているのかどうか、

ではなく、

 

『今』この瞬間、

己のココロは、

【快】なのか【不快】なのか。

 

【レインボー】放出しているのか、

【闇】が出ているのか。

 

 

『今』この瞬間、

自分は何を考え感じているのかに

集中すること。

 

それに対して否定批判しない。

(※物差しを持ち込まない)

 

ただ『気づいて』いること。

 

 

それが

 

『今』に生きていること。

自分を大切にしていること。

 

▼▼▼

 

 

 

 

記憶の中で生きるな!!とは、

 

記憶を【物差し】に使うな、

という意味なのでした。

 

 

 

比べるのはよくない、

 

と誰もが知っているけれど、

 

【物差し】があったら

比べてしまうのが自然。

 

だから

【物差し】を手放す=闇出し

 

 

物差しを手放していくと(闇出し)

どうなるかというと......

 

 

『今』と闘わず、『今』を責めなくなる。

 

新しい映像(現実)は、

『今』この瞬間に創造している。

 

 

自分の世界は自分で創っている

と自分の世界に責任を持っている。

 

 

まさにそれは、

 

誰の被害者になることもないので

永遠に傷つくこともない。

 

それこそが無敵人生なのだと思いました。

 

 

 

 

 

無敵人生の出来上がりです♡

 

 

今日は以上です。

ありがとうございました。