去年、息子から
「闇出し」するよう勧められてから
闇出しの虜になり
日々、
闇を飛ばしてきましたけども
未だに闇まみれでございます。
きっと、
カラダを脱ぐ日まで
闇出しし続けるのだと思います。
(※脱いでからもするのかな)
とにかく
否定的反応が出なければ
闇は溜まらないので
徹底的に
己の反応を見張るように
してきました。
▼▼▼
否定的な反応が出るということは、
古い価値観、信じてきた常識、
観念(思い込み)など、
そこに
【物差し】の存在があります。
「こうあるべきもの」「こうあるべき」
「できて当たり前」
これらの物差しをすべて手放すことができたら
ニュートラル視点となり
否定的な反応が出なくなる。
どちらでもいい。
どちらでも構わない、という境地。
つまり、
ココロが自由になります。
何からも縛られない。
誰からも傷つけられない
という天国な領域。
自分の内側を見張っていると
否定、判断、抵抗、裁き
...といった
否定的反応ばかりしていることに
驚きます。
たった1日だけ
見張っても
相当な否定的反応量なんです。
まずは
気づくことからはじめなければ
その闇を飛ばすこともできないので
1日1日、
見張ってきたのですけれども
わたしは無意識に
自分のことを責め、
ココロの中であっても他人を責め、
環境や状況を
否定して批判していました。
「寝すぎた」から始まり
「呑みすぎた」で
1日終わる、みたいな。(え?)
無意識に
自分のことを責めているので
己から罪悪感や無価値感エネルギーが
放出されていることに
なかなか気づかない。
よく眠れて最高だし、
美味しくお酒が呑めて幸せなのに
無意味に自分を責めて
罪悪感を感じるゲームを
楽しんでいたらしい。
特に息子に対してなのですが、
他人を責めて批判しているときも
同様に相手に罪悪感を
与えてやろうとしていました。
罪悪感さえ与えてしまえば
こちらが優位に立てるので
そうやって息子を
コントロールしようとしていました。
「うるさい」と批判して
騒ぐことはいけないことだ、
悪いことをしているのだから
自分は悪い子だと思うがいい。
さぁ!罪悪感を持ちたまえ!
みたいな。
愛している我が子に
愛と真逆な「罪悪感」を
与えようとしていたんです。
ですがこの場合、
相手が悪い。
相手が息子なので
全くコントロールなんぞできない。
「なにそれ、古い!!」と
逆に諭されてしまう始末。
(※地球の周波数を使った反応をすると
息子は、それ古い!と言います。時代遅れ的な。)
この罪悪感を与えようとする行為は、
家族や近しい人間に対して
とかくやりがちだと思います。
自分のことを考えると
わかるのですが、
人を責めたり批判しているときとは、
自分が幸せ感を
感じられないときであり
愛もクソもない状態です。
だから
必死に自分を癒して護ろうと
高い防壁を築き(分離)
ナニモノかと戦っている状態。
例えばわたしが
誰かに攻撃されたとしても
その相手が
何かに恐れ、弱っている自分を
自分で護ろうとしているのだ、と
気づくことができれば、
それもこれも全て
自分にとって必要な体験であると
受け入れることができ、
他人のそういった行為も
それが必要だから起きている、と
肯定できるようになる。(調和)
肯定するモノからは
攻撃されない。
▼▼▼
相手を否定、批判した瞬間に
自分はそこから分離するので
分離したその瞬間から
相手は、ものすごいパワーを持ち出します。
自分自ら
相手に【敵】エネルギーを持たせてしまうので
勝手に自動的に
自分は敵から攻撃されることになります。
他人が攻撃してくるのは
自分自ら他人に敵エネルギーを
与えてしまったからです。
否定するから攻撃される。
他人から傷つけられているのではなく
自分で自分を傷つけている。
何度も何度も
自分に言い聞かせています。
ーーー
ライオンズゲートから
お盆にかけての
闇出し祭りわっしょい!
食欲はやっと戻りましたが
猛烈に眠くてしょうがない。
大物の闇出しから
もう少しで脱け出せそうです。
ドロドロ闇出し祭り中、
わっしょい♪わっしょい♪のリズムに乗って
「全肯定!全肯定!」
「赦し!赦し!」
「完璧!完璧!」
と
団扇であおられながら
何度も何度も
宇宙から応援されている気分になりました。
宇宙は常に全肯定ですが、
今回、大物の闇のおかげで
かなりリアルに
それを実感できました。
ヤバい....マジで
否定や批判は、いらないのだと。
分けることに意味はないのだと。
寝すぎ上等!
呑みすぎ上等!(オイオイオイ・・・)
今日は以上です。
ありがとうございました。