ある日のこと、
息子に
「iPadやっていい?」
と言われて、
食い気味に
「ヤダ」と答えた。
息子
「え?なんで?なんでダメなの?」
と当然のようにグイグイ攻めてくる。
P「ヤダから」
息子「なんで?なんで?なんで?」
P「やーーだーーかーーらーーー!!」
息子
「なんで?イヤなの?なんで?イヤなの?」
もうね、理由なんてないんですよ。
ド不機嫌なもんだから
なにを言われても
ヤダヤダ期のヤダヤダマンなんです。
納得できない息子は、
理由を聞いてきます。
P「理由なんてない!イヤなもんは
イヤなのーー!!」(理不尽)
我が息子、
はぁ〜....とため息ひとつついて
息子
「ぴ〜ちゃん、落ち着いたら教えてね」
そう言って、
おもちゃで遊びはじめてくれたのです。
なんて、ありがたいんだ
って思いました。
わたしも息子のように
相手にグイグイに
理由を追求していくことを
抑えてみよう、と思いました。
「なんで?」.....を
極力減らしてみよう、と。
これをやり始めたのが
ゴールデンウィークあたりなので
2ヶ月前くらいです。
これが思いの外、
とっても気持ちいいことに
気がついたのです。
理由や原因を探らないことが。
ーーわたしは、
梅雨入り初期にいつも
手の指に赤みのない
肌色の湿疹ができます。
その後、
皮が剥けてきます。
数年前に皮膚科で受診したところ
汗のなんたらかんたらで〜
他人への感染もないことがわかったので
毎年放置していたら
今年は、
手のひらにもできてしまったんです。
なんで?手のひらにまで.......。
なんでだろう?
老化か?寝不足か?栄養不足か?
と考えていたところ(お風呂で)
はっ!として
原因追求するのをやめたんです。
そっか.....
手のひらにもできたんだな、と
ただ事実を受け入れてみた。
すると、
と〜っても!!
ココロが楽になったのです。
別に理由なんかない。
手のひらにもできた。
ただそれだけ。
原因追求することをやめ
考えることをやめた。
それはつまり、
手に注目するのをやめた。
一皮剥ければ
すべてキレイに治るのだから、
と安心して
手の湿疹にパワーを与えることを
やめた。
(※すっかり完治しました。)
ーー息子が
ランチョンマットとお口ふきタオルを
入れている給食袋を
1ヶ月近く持ち帰りませんでした。
牛乳を飲まないので
お茶を入れる水筒も一緒に入っています。
その給食袋を
長いあいだ持ち帰らないので
「なんで?持ち帰らないの?」と聞く。
息子は、
いつも忘れてしまうとのこと。
「汚いじゃん。
なんで?忘れるの?」
はっ!また理由を追求している。
P「それで大丈夫なの?
お茶がなくても平気なの?」
息子
「ダイジョ〜ブ〜〜♪」
本人がなにも問題ないと
感じているのだから
わたしの
『なんで?』は、
ただのお節介なのですよね。
「給食袋を持ち帰るのを忘れた」
その事実を
ただ、そのまま受け入れる。
「毎日忘れる」
ふ〜ん、と
そのまま受け入れる。
今でも給食袋を持ち帰るのは、
週に2回くらいです。
ーースイミングへ行く前、
息子がiPadで遊んでいるので
「トイレ行ってから出るよ」
と声をかけた。
出がけに
「トイレ行った?」
と聞いたら
「行った」
と答えたので
玄関から出ようとした瞬間、
「あ、トイレ」と言って
トイレへ駆け込む息子。
わたしは、心の中で
「あ、嘘ついた。
なんで?嘘つくの?
嘘、イヤなんだけど。
嘘つきになったら困るな。」
と思っていました。
息子のトイレを待っている間、
わたしは、
息子がトイレから出てくるのを
待ち構えて
なんで?嘘をつくのか、
激しく理由を問いただそうとしていることに
気がつきました。
トイレに行っていないけれど
母親がうるさいので
「行った」と答えておいた。
でも出がけにトイレに行きたくなったので
トイレに行った。
ただそれだけ。
もう3年生なのだから
トイレの確認をする必要はないし、
出がけにトイレへ行っても
ほんの数分のことなのだから
なにも問題ないではないか。
それなのに、
嘘をついた!嘘をついた!!
我が子が平気で嘘をついた!!
と勝手に
おおごとにしようとしていたわたし。
スクリーンに入り込んで
物語を大げさに盛り上げようとしていた。
つくづく、
ドラマが好きなんだな〜と
苦笑いしてしまいましたけども。
でもやはり、
行っていないのに
「行った」と言われるのは
悲しいので
その気持ちだけは、
素直に伝えました。
否定的エネルギーを乗せずに
ただそのままを。
望まないデキゴトが起き、
原因や理由を追求して
ココロが楽になるのならば
探ってもいいと思います。
例えば、
頭痛がひどくて辛い。
なんで?痛いのだろう。
あ、満月だからか。
だったらしょうがないな♪
という具合に
天体のせいにすると
気が楽になることがある。
『きのうなに食べた?』の劇中で
こんなやりとりがありました。
シロさん
「なんで?電話に出ないんだよ!」
ケンジ
「サッポロ一番食べてた。」
シロさん
「......サッポロ一番じゃしょうがね〜な」
サッポロ一番なら
作って「即食べ」がマストだから
電話に出なくてもしょうがないな、と
シロさんの怒り(心配)は、
ほわほわに和らいでいました。
(※漫画の大ファンです。ドラマも最高でした
続編希望。)
望まない出来事が起こったとき、
どうしても
原因や理由を追求してしまう癖がついています。
なぜ?こうなったのだろう。
どうして?どうして?
その原因や理由を探った先には、
他人か自分を責めて否定する。
もしくは、
環境や状況を責めて否定する。
ここに行き着く。
「だったらしょうがないな」と
ココロが楽になるどころか
ネガティブを拡大させ
マイナスを強めるだけだという。
原因や理由を追求しない。
そして、やはりこちら。
▼▼▼
「だったらしょうがないな♪」に
行き着くための究極は、
宇宙がやったのならしょうがない。
神の仕業ならばしょうがない。
●今年は、手のひらまで湿疹ができた。
→「神かっ!!」
(手のひらからも毒素を出してくれている、と思えた)
●給食袋を持ち帰らない。
→「宇宙の仕業か!!」
(きちんとしなければいけない。
決めたことはやらなければいけない、
毎日取り替えねばならない、などの
観念を闇出し)
●息子が嘘をついた!!
→「神かっ!!(チキショー)」
(ルールを守らないといけない。
時間は連続している、
わたしのいう通りにしなければならん、
などの観念を闇出し)
原因や理由を探って
自分や他人を責めても
いいのですけども
「自分が悪い」
「自分が至らないからだ」
「お前のせいだ」
「学校が悪い」
「先生がひどい」
....とするよりも
すべて宇宙と神のせいにする。
そして、
その事実を受け入れられないのは、
己の中に
【物差し】(観念、価値観、常識)が
あるので
そこだけは探って闇出しする。
(※探っても探らなくてもいい)
先日、
保育園か幼稚園の子が
激しく登園拒否している声が聞こえました。
その話を息子にすると、
「保育園がイヤとかじゃなくて
ママと居たいだけだよ」
と息子が言ったんです。
自分もそうだった、と。
保育園の先生がイヤだから、とか
保育園が嫌い
という理由ではなく、
ただ、ママと居たい♡
「ママがいい〜〜!!」
「ママじゃなきゃイヤ〜〜!!」
という声を
保育園時代の送りでよく聞きましたしね。
必要以上に
原因や理由を追求しない。
これとってもいいです。
わざわざ
ネガティブ領域に
入っていくことを止められるので
気持ちがいいです。
とうとう、夏休みですか。
そうですか。
今日は以上です。
ありがとうございました。