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前記事のつづきです。
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「イイコトボール」とは、
神様の「愛」なのかもしれません。
神様のその「愛」的なものは、
太陽が地球に無償で照らし続けているように
無条件に「愛」を送り続けています。
「イイコトボール」をパスしてくれている。
Skley
神様は全力で
人間を悲しませたくない、幸せにしたい
と思っているそうです。
ただ、
「愛」を受け取るのを許可するのは
我々人間次第。
年中無休で「愛」のシャワーを浴びれるはずですが
それを遮って
はじき返してしまうのも
我々人間次第。
だから息子は、次の音声で
「自分次第!」と強く語っています。
(ブログ記事一部抜粋)
では、どうぞ。
運がイイのは、自分・・・だけ、
自分次第!!
そうだよ・・・だって、
自分がイイコトを考えなきゃ〜パスされないんだから。
(※自分が拒否しなければパスされる。受け取れる。)
欲しいか欲しくないか。
イイコトを欲しいか、欲しくないか
・・あの〜自分で考える。
決める。
イイコトにハンセイしたら(ハンセイは変形の意味です。)
(自分にとって悪いコトも)イイコトに変えたら〜
イイコトがパスされる。
(※自分にとって悪いコトが起こった!
でもそれは、本当に悪いコトなのだろうか。
自分にとって必要なコトだから起こったのかもしれない、と
切り替えることができたら・・
どんどんイイコトボールがパスされて、
結果、イイコトでいっぱいになる。)
でしょ?
悪いコトからイイコトに変形。
変形。
P「変換??変形。」
変形・・変換でもイイ。
P「いや、変換違うな。」
変形・・変形するの。
神様から、イイ・・イイ・・イイボールがパスされる。
イイコトをパスすると運がよくなる。
(※神様から素直に受け取れば運がよくなる。)
だって、
イイボールをパスされると〜イイコトが起こるコトもあるじゃん??
自分次第がとにかく大事!!
あの〜〜
運が悪いコトも言うよ。
例えば、
間違えてイイコトが悪いコトと思っちゃう。
(※この世に「イイ」も「悪い」も存在しない。
自分にとって一見、悪いコトが起こったとして、
それを悪いコトと決めるのは自分。自分次第。
その一見、悪いコトは、必ずイイコトに繋がっている。
イイコトを・・間違えて悪いコトと決めてしまわない。)
そして、
はっ!!
悪いコトに変えたらイイコトが起こるかもしれないな〜〜。
悪いコトに変形。
イイコトから悪いコトに変形・・・・すると、
ボールがパスされない。
えっ??運が悪い!!「ママ買ってぇ〜〜〜!!」
「買いません!!」
「いつも買ってくれるのに、運が悪いな〜〜」
・・そういうコトでしょ??
運が悪いってコトは、
あの〜〜イヤなことがおきたとか、
サッカーでボールをパスされないとか、
あの〜・・サッカーで負けたとか、
そういうことが運悪いでしょ?
P「うん??わかんない。」
もうねーーぴ〜ちゃんには早い。
(この手の話は、ぴ〜ちゃんには早い。ぴ〜ちゃんにはまだ理解できない。)
(続きます。)
ーー息子のお話を聞いて思い出したことがあります。
過去記事にもあるのですが、
むかし、
大事な大事な約束事を1ヶ月の間に
10件以上もキャンセルされたことがありました。
インフルエンザが流行っていた時期だったのです。
こんなに立て続けにキャンセルされるという事態。
わたしにとって最悪な案件で
気分もだいぶ落ち込みました。
ですが、途中で何かに気づきます。
いくらインフル流行りだからといって
10件以上も立て続けにキャンセル。
これは何かあると思いました。
自分にとってイイ方向へいっている合図かもしれない。
当時、
わたしにはどうしても手に入れたいものがあり
でもその倍率が尋常ではない。
わたしが手に入れることができる確率はゼロに近かったのです。
(キャンセル待ち番号が恐ろしい桁数。)
この時、
もしやこの事象は、
わたしがそのものを手に入れるというビッグウェーブ、
・・前触れなのではないか
と思ったのです。
つまり、
キャンセルされたコト=イイコト
に変形していたのです。
結果、
当選確率がゼロに近かったのに無事、手に入ったのです。
キャンセル=悪いコト
とわたしが決めていたら、
キャンセル待ちをしている自分の立場も否定しているので
わたしは当選できなかったと思います。
その時の記事です。
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わたしは、
「イイコト」が欲しい!!と自分で決めた。
目の前の現実は、
一見、悪い事象だが(キャンセル)
これは、「イイコト」に繋がっているはずだ。
キャンセルされた方が「イイ」に決まっている。
と悪いコトからイイコトへと変形させた。
結果、
神様に「イイコトボール」をパスされて
「イイコト」になった。
運がイイ!!ぴ〜ちゃんは、運がイイ!!と
言われましたが
それは
神様からの「愛」を拒否らずに素直に受け取った
だけなのだと思いました。自分次第。
神様からは
誰もが平等に年中無休に無条件で
無償の「愛」が降り注がれている。
Radek Labancz
その太陽光を
素直に受け取って浴びるのか、日傘をさして光を遮るのか(拒否る)。
傘をさすのか、傘を下ろすのか
自分次第。
目の前の現実をどう捉えるのか
自分次第。
息子の音声はまだつづきます。
歩きすがら
普通にお地蔵様に手を合わせていました。
後になって画像を見て気づいたのですけど、
自分の大切なおもちゃをお供えしていました。
息子「お花の代わりだよ〜♪」
その後、ちゃんと持ち帰ったらしいです。
息子はとっても元気です。
今日は以上です。
お読みいただきありがとうございました。



